エコノミストの昨年の2007年の9月の記事に、supercapitalismを出版した頃のロバート・ライシュ氏によるCSR批判に対する批判を行なっていました。ライシュ氏といえば、米国左派期待の星なんですが、CSRは企業が市民の変わりを勤めることで民主主義を弱めるという批判を加えています。The Economistは、企業のリーダーも、ライシュ氏の言う、環境や、教育、ヘルスケアなどへの政府に取組に反対しているわけでもないし、企業にとってもそこへ取組んでいくことは長期的な利益拡大のチャンスとなるから、批判は適当ではなく、もはやCSRは是非ではなく、どう焦点を絞って取組んでいくのかということが常識となっていることを言っています。マイケル・ポーターとマーク・クラマーの「競争と社会」で言う、CSR活動を競争力の源泉とする方向に確実に向かっているのだと思います。
新刊本「Supercapitalism」で、ロバート・ライシュは、CSRは、民主主義を弱める危険があるという。ビル・クリントン政権で労務長官を歴任し、現在カリフォルニア大学バークレー校の教授は、社会問題は政府が扱うものであって企業にはない。グーグルやウォルマートがよい企業かなどは意味がなく、政府がルールを設置し企業の競争を促すことで、利益を最大化することは、社会的に利益になるという。
CSRが企業の利益を増加させるというのはナンセンスで、スターバックスがエコパッケージにしてコストカットしたことや、ウォルマートがパート従業員に保険を提供し始め、定着率が上げたが、これを「社会的責任を果たしている企業と認める」なら、単に利益を伸ばしている企業はすべてそれに当てはまる。というのは社会への利益にもなっているからとライシュ氏は言う。
またCSRがよくないのは、CSRによって政府が取り組むべき問題をやらなくてもいいと世間が思ってしまうことだ。堕落した政治家が、自分たちの改革の無能さを棚に上げ、企業の不祥事を指摘するだけになってしまう。企業ロビーストの影響が強く、規制強化に失敗していることが、不祥事の温床となっている*。
CSR支持者も企業の腐った献金について、ライシュ氏と同意するが、ライシュ氏の対策は、彼らと逆で、市民と政治家が正しいことをしようとするなら、企業になんか頼る必要がないというものだ。
CSRの支持者は、企業は自己利益に反することをすべきでないと考え、短期的で視野狭窄な儲けなく、長期的な利益こそ本当にすべきことだと言う。しかし、ライシュ氏にはそれは「賢明な経営」であってCSRではないという。しかし、CSRは従業員のやる気を高め、ブランド力を強化し、社会に恩恵をもたらすのは事実。社会的なコンテキストを意識することで、新たな製品やサービスも生む。プリンス・オブ・ウェールズの国際ビジネスリーダー・フォーラムのジェーン・ネルソンはこのような機会を超短期利益の前に見逃すこともないと言う。
ライシュ氏は、第二次大戦後のアメリカが「それほど黄金時代」ではなかった時代は、企業はより社会的に責任をもっていたと、好意的に振り返っている。企業リーダーが、今とは違い、経済成長をもっと平等に分配すべきと考えていた。アメリカの大企業は、贅沢な寡占状態であったのは、社会責任などを賄えたが、現在のような、厳しい世界競争に晒された「超資本主義」では、そんな余裕はなくなったという。
しかし、マッキンゼーのレニー・メンドンカは、戦後のビジネスリーダーは、利益を追求するには、世界経済を立て直し、社会契約を新たにすることだと考えていたいという。同様に今は、企業の長期的な利益追求には、気候変動や教育制度の不備などを解決することが重要だし、そのモチベーションは政府よりも高い。実際アメリカでは、ビジネスリーダーが教育や、気候変動や、ヘルスケアなどへの政府の取組は短期的なゼロサムゲームではないと支持が高く、従ってライシュ氏の好みとそんなに異ならない。
ライシュ氏の本は、批判をたくさん加えているが、CSRに取組んでいる人たちにはあまり意味がない。「CSRの是非を問う時代は終わり、今や、特に何を、どうやって行なうかが問われている。」という方へすでに移っているからだ。
*ライシュ氏の企業ロビーストへの見解は、http://blog.goo.ne.jp/ikeday_1977/e/9e77b157180132088c52ca4b5ca8f336 ケネディ・スクールでのライシュ講演を聴かれた方がブログで詳しく説明しています。
No comments:
Post a Comment