Mar 22, 2008

1929年のパーティのようだ―NYTコラム、ポール・クルーグマン

Published: March 21, 2008
ベン・バーナンキが、金融制度の崩壊を救えるのなら、かなり英雄的な努力とたたえられるだろう。
でも問うべきことは、どうしてこうなってしまったのかにある。
どうして、金融制度は救済しなきゃいけないのかということだ。
どうして、おだやかだった経済学者がスーパーヒーローにならなきゃいけないのかということ。
答えは、我々は率先して健忘症になってしまったことに対して代償を払っているのだ。1930年代に起きたことを忘れるよう選択してしまった。つまり、歴史から学ぶことをやめ、過ちを繰り返した。
常識とは反対に1929年の証券市場ショックは、大恐慌の決定的瞬間ではなかった。単なる不況を、何が市民生活を脅かすまでの窮地に変えたかというと、銀行の取り付け騒ぎの波が1930年から31年のアメリカ全土に及んだことだ。
1930年代の銀行危機は、非規制、非監視が、金融市場を簡単に大打撃をもたらす失策であるということを明らかにした。
それから数十年が過ぎたが、当時のレッスンは忘れ去られ―今やもっともすべきでない方法で再学習中である。
問題を把握するために、銀行が何をするのか理解する必要がある。
銀行は、預金者と借り手の反する願望を調整する役割がある。預金者は自由が欲しい―自分たちの預けているお金を、予告なしに引き上げたりする。借り手は、コミットメントを望んでいるわけではなく、突然の支払い催促されるような状況を望んでいる訳ではない
一般的に、銀行は双方の願望を満たそうとするのだが、預金者は、好きな時に資金を引き出せるし、とはいってもほとんどの銀行は、長期的貸付を行い運用している。これが可能なのは、引き出し額と新たに預金される額は、均衡するからで、銀行はある程度のキャッシュさえあれが、役割を果たすのに十分なのだ。
しかし、ときに―ほとんど噂にすぎないのだが―銀行は、取り付け騒ぎで、多くの人が同時に引き出しにやってくることに直面する。そして取り付け騒ぎに直面した銀行は、需要を満たすためのキャッシュが不足し、噂が嘘であるにしても、崩壊することもある。
さらに悪いのは、銀行の取り付け騒ぎは伝播しやすい。もしある銀行の預金者が資金を失うと、他行の預金者も不安に駆られ、連鎖反応を引き起こす。そして、広く経済一般に影響を及ぼす。生き残った銀行は、借り手から支払いを催促しキャッシュを集めようとするので、銀行取付による悪循環が信用収縮をもたらしかねなく、これはビジネスを失敗させ、さらなる銀行に問題を引き起こす、などなどなっていく。
端的に193031年に起きたことは、大恐慌を災害にした。だから議会は、規制や金融制度にセーフティネットを提供して保障し、再度起きないように確かにしようとした。
そして我々は、その後しばらく幸せに暮らした―しかし、永遠にというわけではなかった。
ウォール街は、リスクを制限するが同時に潜在的な利益も制限する規制をこすりつけた。そして徐々に、自由にしていった―部分的に、政治家たちに規制を緩めさせ、しかし主要な部分は「影の銀行制度」を作らせ、複雑な金融アレンジによって、銀行を安全にするための規制をバイパスさせるものにした。
例えば、旧制度では、預金者は預金銀行をきつく規制する連邦預金保険があり、銀行はそのお金を住宅ローンの貸し出しに使っていた。時が過ぎて、しかし、部分的に、これが、預金者はその資金で、特別に投資手段であるコラテラルデットオブリゲーションとして証券化されたローンを買うことで、資産を背景にした証券を買うようになった。これで、規制監視者の目を誤魔化すのである。
数年が経ち、この影の銀行制度は、銀行ビジネスにどんどん取って代った。というのは、非規制されたこの制度のプレーヤーは、一般的な銀行よりも魅力的な提案をしていたからだ。その間にも、この勇気ある新しいセーフティネットの欠けた金融について心配していた人は、まったく希望もなく古い形で分解された。
実際、しかしながら、我々は1929年のようにパーティをしていたのだ―そして今やその1930年である。
金融危機は、銀行取付騒ぎの最新版として全米中を席巻し進行中である。人々は、銀行から預金を引き出しマットの下に隠すということはしていないが、近代的な類似のことをおこなっている。預金を影の現行制度から引き出し、それを国債に回している。その結果、金融収縮の悪循環が起きている。
FEDのバーナンキ氏と彼の同僚たちは、この悪循環を終えるために出来ることをすべてやっている。我々はその成功を祈るばかりだ。そうしないと、次の数年は、とっても不快になるだろう―もう一つの大不況、そうでなくとも、ここ数十年来最悪のスランプになるのはたしかだ。
たとえバーナンキ氏が終えても、経済を健全に運営するレベルではない。今こそが1930年代のレッスンを再学習し、金融制度をコントロールするべきときだ。