Jan 31, 2008

ジョン・アレン・パウロス-Irreligion

john A paulos氏の新刊が今年の1月13日に出版されて第一章をNYタイムズで読めるみたいですが、すでに「数学者の無神論」として翻訳が出てました。 


それに同じくNYタイムズの角谷美智子(michiko kakutaniはアメリカ生まれのアメリカ育ち)が書評をつけていて、神の存在証明について数学者による反証を行なっていると。ただパウロス自身が言うほど、数学音痴や無知に分かる代物でもないし、最後には、リチャード・ドーキンスの“The God Delusion” (2006)やクリストファー・ヒチェンなど“God Is Not Great: How Religion Poisons Everything” (2007)など、知的無神論・不可知論本の流行に乗じた一冊とばっさり切り捨てています。まあ、この角谷氏は、その昔、昨年亡くなったノーマン・メイラーにも「カミカゼ」書評家として怖れられたり、ハリー・ポッターを発売前にネタバラシして著者に呆れられたり個性的で独断でばっさり斬ることで有名なので、そういうものかとも思います。

Jan 29, 2008

企業探求―ロバート・ライシュのCSR批判はもはや古い?

エコノミストの昨年の2007年の9月の記事に、supercapitalismを出版した頃のロバート・ライシュ氏によるCSR批判に対する批判を行なっていました。ライシュ氏といえば、米国左派期待の星なんですが、CSRは企業が市民の変わりを勤めることで民主主義を弱めるという批判を加えています。The Economistは、企業のリーダーも、ライシュ氏の言う、環境や、教育、ヘルスケアなどへの政府に取組に反対しているわけでもないし、企業にとってもそこへ取組んでいくことは長期的な利益拡大のチャンスとなるから、批判は適当ではなく、もはやCSRは是非ではなく、どう焦点を絞って取組んでいくのかということが常識となっていることを言っています。マイケル・ポーターとマーク・クラマーの「競争と社会」で言う、CSR活動を競争力の源泉とする方向に確実に向かっているのだと思います。


In Search of the Good Company


ここ10年で「企業の社会的責任」が、先進国企業の役員会では常識となり、途上国でも浮上してきている。大企業の多くは、職場の多様性や人権や環境問題といろんな方針を設置している。CSRへの批判は、ミルトン・フリードマンの「企業の社会責任は利益を増やすことだ」という議論を踏襲する自由市場論者のものだ。しかし、CSR批判の議論に新たなひねりを加えたのは、最近出版された左翼の旗手であった。

新刊本「Supercapitalism」で、ロバート・ライシュは、CSRは、民主主義を弱める危険があるという。ビル・クリントン政権で労務長官を歴任し、現在カリフォルニア大学バークレー校の教授は、社会問題は政府が扱うものであって企業にはない。グーグルやウォルマートがよい企業かなどは意味がなく、政府がルールを設置し企業の競争を促すことで、利益を最大化することは、社会的に利益になるという。

CSRが企業の利益を増加させるというのはナンセンスで、スターバックスがエコパッケージにしてコストカットしたことや、ウォルマートがパート従業員に保険を提供し始め、定着率が上げたが、これを「社会的責任を果たしている企業と認める」なら、単に利益を伸ばしている企業はすべてそれに当てはまる。というのは社会への利益にもなっているからとライシュ氏は言う。

またCSRがよくないのは、CSRによって政府が取り組むべき問題をやらなくてもいいと世間が思ってしまうことだ。堕落した政治家が、自分たちの改革の無能さを棚に上げ、企業の不祥事を指摘するだけになってしまう。企業ロビーストの影響が強く、規制強化に失敗していることが、不祥事の温床となっている*

CSR支持者も企業の腐った献金について、ライシュ氏と同意するが、ライシュ氏の対策は、彼らと逆で、市民と政治家が正しいことをしようとするなら、企業になんか頼る必要がないというものだ。

CSRの支持者は、企業は自己利益に反することをすべきでないと考え、短期的で視野狭窄な儲けなく、長期的な利益こそ本当にすべきことだと言う。しかし、ライシュ氏にはそれは「賢明な経営」であってCSRではないという。しかし、CSRは従業員のやる気を高め、ブランド力を強化し、社会に恩恵をもたらすのは事実。社会的なコンテキストを意識することで、新たな製品やサービスも生む。プリンス・オブ・ウェールズの国際ビジネスリーダー・フォーラムのジェーン・ネルソンはこのような機会を超短期利益の前に見逃すこともないと言う。

ライシュ氏は、第二次大戦後のアメリカが「それほど黄金時代」ではなかった時代は、企業はより社会的に責任をもっていたと、好意的に振り返っている。企業リーダーが、今とは違い、経済成長をもっと平等に分配すべきと考えていた。アメリカの大企業は、贅沢な寡占状態であったのは、社会責任などを賄えたが、現在のような、厳しい世界競争に晒された「超資本主義」では、そんな余裕はなくなったという。

しかし、マッキンゼーのレニー・メンドンカは、戦後のビジネスリーダーは、利益を追求するには、世界経済を立て直し、社会契約を新たにすることだと考えていたいという。同様に今は、企業の長期的な利益追求には、気候変動や教育制度の不備などを解決することが重要だし、そのモチベーションは政府よりも高い。実際アメリカでは、ビジネスリーダーが教育や、気候変動や、ヘルスケアなどへの政府の取組は短期的なゼロサムゲームではないと支持が高く、従ってライシュ氏の好みとそんなに異ならない。

ライシュ氏の本は、批判をたくさん加えているが、CSRに取組んでいる人たちにはあまり意味がない。「CSRの是非を問う時代は終わり、今や、特に何を、どうやって行なうかが問われている。」という方へすでに移っているからだ。

*ライシュ氏の企業ロビーストへの見解は、http://blog.goo.ne.jp/ikeday_1977/e/9e77b157180132088c52ca4b5ca8f336 ケネディ・スクールでのライシュ講演を聴かれた方がブログで詳しく説明しています。


Jan 27, 2008

ブッシュ経済の顛末―ジョセフ・スティグリッツ 2007年12月

スティグリッツ先生がブッシュ経済についてVanity Fair誌上で吼えています。これを読む限りブッシュ時代の経済政策は本当に憂鬱なものだと思わされます。

The Economic Consequences of Mr. Bush by joseph Stiglitz 2007/12


次の大統領は、ジョージWブッシュ氏の負の遺産のレガシーを引き継ぐはめになると、ノーベル賞学者ジョセフ・スティグリッツが、今後数世代に渡る困難を予言する。 200712

未来からブッシュ政権を振り返って見ると、イラク戦争の悲劇やグアンティナモのアブ・ガリブでの市民の自由への圧迫やアメリカ経済に与えたダメージなどが新聞紙上を連日にぎわせたが、これらの修復にはこの記事を読んでいる人が生きているうちには実現しそうにもない。

私にはこの肩透かしを食らいイライラしている状況が伺える。大統領は政権を担当してから7年もの間一度も不況を引き起こしたわけではない。失業率4.6%は悪くないが、他の面を見ると、圧政によるうめきが聞こる。税制は、富裕層にこっけいなほど偏った優遇されており、国家の負債は大統領が辞任するころには、70%も増加することになる。サブプライムローンの破綻による悲劇の連鎖、過去最大に肉薄する8千5百億ドルもの貿易赤字、石油価格の最高値の更新などで、ドルは下落しパリやロンドンでコーヒーを買うのも一苦労で、ユーコン(カナダ)を訪れるのですら、お金をやりくりする冒険になってしまった。

状況は悪くなるばかりで、ほぼ7年の大統領生活で、アメリカは将来への備えがかつてないほど低下した。技術者や科学者など、中国やインドと伍していくための熟練労働者の十分な育成をしてこなかった。20世紀の終わりに技術を牽引したような基礎研究に投資をしてこなかった。大統領は今では石油や石炭から離脱すべきと言っているが、双方に依存することになってしまった。

常識的では、ハーバート・フーバーによる大不況の悪化が経済面で「史上最悪の大統領」の汚名を着せられている。フランクリン・ルーズベルトは政権を取り、フーバーと正反対の政策を実施することで国は立ち直った。翻ってブッシュ経済は、かつてのフーバーより酷い有様で、再建させるのはもっと困難でさらに長い期間を要することになるに違いない。アメリカが世界最強の経済大国の地位が脅かされることはないだろうが、我々の孫の世代までもブッシュ大統領によってもたらされた経済的な困難を引きずることになるだろう。

財政黒字を覚えているだろうか?

2001年に、ジョージ・ブッシュが政権誕生時、経済的な状況は今とは似ても似つかなかった。躍進の90年代、インターネットが全てを変えた。生産性は1970年代から1990年の前半まで年率平均1.5%向上していたが、今では3%に近づいている。ビル・クリントンの二度目の政権担当時、製造業の生産性は6%を超えようとしていた。FED総裁のアラン・グリーンスパンは、インターネットによる生産性向上によるニューエコノミーが旧ビジネスを駆逐したと言った。ビジネスサイクルの終わりと予言したものもいた。グリーンスパンは、国家財政が借金を払い終えてしまい、金融担当者として何もすることがなくなるのではないかと本気で心配していたようだ。

とてつもない自信がダウジョーンズインデックスを高く、高く押し上げた。金持ちは儲かったし、そこまでない人たちや貧しい人たちまで儲かった。かといってクリントン時代は、経済の完成形であったとはいえない。私は、一時期大統領経済諮問会議の会長として、その失策や機会損失について知りすぎているのだが、我々が推し進めた貿易協定は、途上国に不公平であった。インフラにもっと投資すべきだったし、証券規制を厳格にすべきだった。エネルギー保存を積極的に呼びかけるべきだった。しかし、政治力や資金が不足していた―率直に言えば、必要以上の要綱が形作られていたからだ。しかし、経済ブームによって、ジミー・カーター以来、初めて国家赤字が解消された時期もであった。そして、1970年代以来、初めて収入分布の下の層が、上の層より早く成長した時期でもあった。これは祝福すべきことだろう。

ジョージ・ブッシュが滑り込んだ頃、この明るい写真が序々に曇り始めた。テックブームは終わり、ナスダックは、20004月に15%下落し、インターネットバブルの崩壊が実体経済にどのような影響を与えるのか誰も予測できなかった。それこそケインジアン経済の充実すべきで、アメリカ人に全てに必要となる教育や技術やインフラにより多くのお金を使うべきだ。しかし、クリントン政権は、負債の圧縮に傾注するあまり、その努力を延期していた。ビル・クリントンが去った後、ブッシュ氏は、これらのことを実施するに理想的な状態だったといえる。2000年の、アル・ゴアとジョージ・ブッシュの大統領選での議論を覚えているだろうか?2.2兆ドルものアメリカの国家財政黒字をどうやって使うかというものであった。これをもってすれば、鍵となる内政投資をほとんど行なうことができたに違いない。実際、もしかしたら短期的に不況をもたらすことになったかもしれないが、長期的な成長に欠くべからず事だったに違いない。

しかし、ブッシュ政権の最初の経済的な取組は、2001年の6月に金持ちに対する巨額の減税の実施であった。年収100万ドル以上の人は平均的なアメリカ人の減税額の30倍にもなる18000ドルの減税を受けた2003年の二度目の減税で富裕層はさらに優遇され、格差は徹底的された。この2回の減税を2012年まで完全に実施すると、収入分布の下方20%の人たちの平均減税額は45ドルに過ぎないが、年収100万ドル以上の人たちの減税額平均は162,000ドルにもなる。

ブッシュ政権は、経済成長はここ6年間で16%だというが、その成長は、助けを必要な多くの人ではなく、助けの不要な人に恩恵をもたらした。上げ潮が全てのヨットを押し上げるというが、アメリカの格差はこの75年でかつてないほどである。30代の若い世代の年収は、インフレ調整すると30年前の彼らの父親の世代と比べて12%下回っている。ブッシュが大統領になってから、貧困層が530万人も増えた。アメリカの格差は、そのうち確実にブラジルやメキシコのようになるに違いない。

倒産ブーム

もっとも驚嘆するべきは基本的な財政運営のルールをないがしろにしたことだ。政権は新たにイラク「戦争を選択」し巨額の支出計画を組んだが、減税は継続していた。ブッシュ政権発足時、GDP2.4%もの財政黒字は、在任4年の間で3.6%の赤字へと変わった。こんな大転換は、世界的な危機の第2次大戦以来見たことがない。

2002年から2005年の間に、農業助成金は倍増され、歳出―税金コードに現れない助成金を含め―は25%も上昇した。大統領の友人である石油やガス業界の人々への減税は数十億ドルにものぼった。そう9/11以降の5年間で、防衛費用は70%膨張し、しかも増加予算のほとんどは、直接戦争やテロとの戦いに使われず、成功するあてのないイラクミッションに費やされていた。使う必要のない武器や存在しない敵に備えたハイテクギミックへとどんどん投入されていたのだ。過去7年間、GDPに占める研究や防衛以外の研究費用の割合は低下した。経年劣化しているインフラに対して、ほとんど手が加えられることがなく、ニューオリンズやミネソタの橋の崩落などを引き起こした。このようなダメージは、次に政権を担当するものへの負債として圧し掛かるに違いない。

必要としている人のためとの名目で40年にわたり積み重ねてきたメディケアや処方薬を貧弱な制度へと変えた。選挙時期に賄賂や製薬産業を儲けさせる為に犠牲になったのだ。内部資料は議会にも報告されない特別な計らいを製薬会社は受けたと明らかにしている。彼らの新たな恩恵は、年配患者がカナダや他の企業から安価な薬の購入を禁じ、製薬バイヤーの最大手が業者と交渉して薬の価格を下げることを禁じるというものだ。

減税には経済を刺激する意図があると大統領が言っていがこれが本当であった試しがない。1ドルあたりの効果、つまり負債1ドルあたりの効果は、とても低い。景気策の担当はFEDだが、過去に例のない1%の利下げを行った。インフレを考慮すると実質-2%の利下げとなる。消費者の憂鬱が予想される。つまりブッシュの財政無責任は、他の人まで無責任にしてしまったのだ。信用は収縮し、サブプライムローンは命あるものなら誰にでも利用可能となった。クレジットカードの賃出高は、2007年の夏には900億ドルに達した。「赤ん坊でも審査パス」はブッシュ時代のスローガンである。アメリカの家計は低金利をいいことに住宅ローンを最初の「ティーザー(お試し)」率で契約し、その後率が上昇に苦しんだ。

これらの景気策は、しばらく良好に見えた。大統領は、経済指標を加速させたように見えた(実際そうなった)しかし数年で利上げされ、多くの家庭は住宅ローンを支払いが不可能になった。大統領は2008年以降と見ていたが、18ヶ月早く起きた。170万人ものアメリカ人が、数ヶ月の間に家を失うと予測され、貧困への落下スパイラルの始まりを意味している。

2006年の3月から2007年の3月まで、個人の破産率は60%も上昇した。2005年の大統領の破産法案によって、破産した家族の多くは、誰が勝者で誰が敗者であるか理解した。法案は、個人の借り手が負債を適当な理由で放棄することを困難にした。「改革」を主張した貸し手は明らかな勝者だ。レバレッジで益を拡大しつつも保護されている。ファイナンスの危機に直面している人々はくずをつかまされたのだ。

さらにイラク戦争

イラク戦争(同様に、規模は小さいがアフガン戦争も含む)は、この国のかけがえのない血と富を犠牲にした。生命の喪失は数値に置き換えることができない。富に関しては、政権の勇気を呼びたい。イラク侵攻が長引き、戦費の計算が恐ろしくなっているのだ(ワシントン関係機関は、2000億ドル程度だと済まそうとしている)。数値を提出させると、2~3ヵ月ごとに500億ドルほどという。今では、米軍支出合計は「数えられるだけ」で5000億ドルを超えているのを認めている。しかし実際の戦費はハーバード大学のリンダ・ビルメズと行なった研究によるとその4倍ほどになるのではと見ている―議会予算局ですら、すでに総支出は1兆ドルとしている。公式の発表は、防衛予算に隠れている関連物の支出を計上していない。例えば、志願兵集めの費用だとか、再登用ボーナスの100,000ドルや、負傷した数万人の退役軍人への終身健康保険費用も除外している。20%もの退役軍人が、深刻な脳や神経の損傷を負っている。驚くべきことに、戦争で使用された多くの機材の費用も除外しており加算されるべきだ。もし、戦争の勃発による石油の高騰がもたらした経済への影響を考えると、例えば、戦争はマイナスのドミノ効果ともいう投資への不確実性をもたらした。アメリカは世界でももっとも嫌われた国になり企業が海内で問題を抱えだした。イラク戦争の総体コストは、どれだけ控えめに計算しても少なくとも2兆ドルはくだらない。しかも「今のところ」だ。

2兆ドルで、何が買えただろうかと考えると、アメリカのアフリカへの補助は、年に50億ドルに過ぎず、イラク戦争の直接戦費の2週間分だ。イラクの砂漠に流した血の他に、社会保障でも大きな財政問題を抱えた。財政の修復をするのに1世紀は要する。もし2兆ドルが教育やテクノロジー、インフラの向上に使われていたら、海外からの脅威や将来の問題により優位な位置にいれただろう。また2兆ドルで、全ての資格をもつアメリカ人に高等教育にアクセスを保障することができた。

石油価格の高騰は明らかにイラク戦争と関係している。戦争のせいかどうかではなく、どこまで戦争のせいなのかが問題だ。ブッシュ政権の高官がイラクの石油収入で戦費を賄うことができると言っていたのが嘘のようだ。1991年の湾岸戦争でも、我々はごくわずかの利益を得ただけではなかったのか? 思い出すと、戦争の勝者は石油企業、防衛関連者にアルカイダとごく限られている。戦争前、石油市場は、次の3年間、1バレル当たり20-25ドルを推移するだろうと予測していた。市場関係者は、中国やインドでの需要の増加を予測していたが、同時に中東での生産の増強が行なわれ、需要を満たすと考えていた。戦争は、イラクの石油生産性を下げたのではなく、試算を狂わせた。地域の安全に対する危機を高め、将来に対する投資を回避させたからだ。

価格高騰にもかかわらず、石油への継続的な依存は、この政権のもう一つのレガシーだ。アメリカのエネルギー資源の多様化の失敗。炭化水素が環境面で世界を弱体化させるのを別にすると、大統領は失策について一度も反省していない。その代わり「アメリカを破壊する」政策を継続した。アメリカの石油を大量・迅速に海外へ持ち出し、しかも環境に対する配慮はほとんどなく、国の将来をさらに海外の石油に依存させながらも、核融合やその他の奇跡によって救済されるというありえない希望をもっている。石油業界への贈り物は2003年の大統領のエネルギー法案にこれ以上はないほど多く含まれ、これはジョン・マケインをして「ロビーストを全部解雇させる」法案だと言わしめた。

世界の軽蔑

アメリカの財政・貿易の赤字は、ブッシュ大統領時代に記録的な額に到達した。確かなのは、負債そのものは自動的に積み重なったわけではないことだ。事業用の機械購入資金の借入は、悪いことではない。過去6年間、アメリカは、政府、家族、国、全体が借りまくって消費を行なった。一方で、工場や設備など富の創出を増やす固定資産への投資は、減っている。

この衝撃は一体どこに行くのであろうか? アメリカの生活レベルは確実に低下するだろう。アメリカの経済は多くの痛みを受け傷跡はどこにもかしこにも現れてくるだろう。アメリカ経済の自信は喪失されドルの価値も下落している。ドルは2001年から対ユーロで40%も下落した。

国内の経済政策の失策は、海外での失策だ。ブッシュ大統領は、対中国の巨額の貿易赤字に難癖をつけているが、中華元の上昇は、衣料品やアパレルを中国ではなくバングラデシュやカンボジアからより購入しやすいように彼が推進したことであった。これで負債額は変わらない。大統領は自由貿易を信奉しているが、アメリカ鉄鋼業の保護を強化した。合衆国は二国間貿易協定を強力に推進したが、小国にたいしてAIDS撲滅に必要となる薬のパテント保護を延長したり、あらゆる不利な条件を飲み込ませた。われわれは自由市場を強調しているが、中国によるアメリカの小さな石油会社で多くの資産が海外に存在しているUncolの買収を回避させた。

当然のごとく、アメリカ貿易への反発運動がタイやモロッコで起きた。しかし、アメリカは妥協を拒否し、途上国の農家にダメージとなる巨額の農政補助金の撤回を拒否した。この非妥協的な態度は、国際市場を開放させる議論を崩壊させた。ブッシュ大統領は、多国間協議を弱体化させ、代わりにアメリカ一極支配を据えた。最終的に、彼はアメリカによる支配に失敗したが、協力関係を弱めた。

政権の多国籍組織への軽蔑は、2005年に、前防衛省イラク戦争再生代表であるポール・ウォルフォビッツを世界銀行の総裁に指名したことに現れている。彼は最初から信用がなく、すぐに個人的なスキャンダルで、二年もしない内に辞職し世界に恥をさらした。

グローバリゼーションは、アメリカの経済と他の世界を切っても切れない関係にした。惨憺たる状況のアメリカの住宅ローンを考えてみるといい。よくある破産で、ローンの初心者が、まったく価値のない紙を握らされていることに気付く。この問題の原因は、ローンが他の資産とパッケージされ、きわめて不透明な中、身元不詳の他人に売却されていることだ。この問題が明らかになると、世界の金融市場は真の惨状に直面することになった。欧州や、中国や、オーストラリアそして、ゴールドマンサックスやベア・スターンのようなアメリカのスター投資銀行などのポートフォリオの中にも、この数十億ものひどい住宅ローンが隠されていることが判明することになる。インドネシアや他の途上国―ただの傍観者―は、世界のリスクプレミアムの上昇に苦しむことになった。投資家たちは新興国から資金を引き上げたからだ。このような混乱を沈めるには数年かかる。

今や、我々の負債の保障を他の国々に頼っている。今や、中国はアメリカの公共・私的なIOC1兆ドル以上所有し、ブッシュ政権の6年間の負債総額は5兆ドルになる。これらの債権者は、ローンの回収をしないだろうが―もしそうしたら世界的な金融危機を引き起こすだろう。しかし、何が悩ましいかというと、世界で最も豊かな国が、このような手段以外に活きる術がないということである。グアンティナモやアブ・ガリブはアメリカの倫理的な権威を失墜させたが、ブッシュ政権のお家の財政運営は、経済的な権威を失墜させた。

前に進むには

2009年の1月にホワイトハウスに入るのが誰であれ、好ましくない経済環境に直面するのは間違いない。イラクから撤退させるのももっとも血なまぐさいことになるだろうし、アメリカの経済の家屋を立て直すのも何年も大変な思いをすることだろう。

最初に取り組まなくてはならないことは、経済の代謝を正常に戻すことである。貯蓄率ゼロ(あるいはマイナス)から、典型的な割合いわば4%程度まで引き上げることだ。そのような引き上げは、短期的な結果として痛みを伴うが長期的なアメリカ経済の状態にとてもよい効果を及ぼす。貯蓄するということは消費が減るが、もし人々が消費を抑制すると経済のエンジンが冷える。もし家計が消費を急に縮小すると、住宅ローン市場の溶解の結果、彼らはそうせざるをえないのだが、不況を意味する。しかし、しっかり対策を講じて行なえば、減速を緩和することができる。この破産と倒産の問題は家計の抱える借金を改善するわけがなく悪化させるばかりだ。連邦政府はドン詰まりにあり、急激に財政を立て直そうとしても、財政と消費の双方を悪化させるだけだ。

いずれにしても、多くのことに取り組む必要がある。端的に、我々は最近の行動をすべてまったく逆のことを行なうことだ。もっていないお金を使わない、金持ちに増税し、企業への優遇を減らし、恵まれない人へのセーフティネットを強化し、教育や技術やインフラへの投資をもっと増やすことだ。

税金について、今は労働や貯蓄について毒のごとく悪いものと決めつけているが、これをよいものだと思えるようシフトさせねばならない。政府は労働者の技能を向上させ、購入しやすい保険を与えるなどセーフティネットを大事にしつつ、アメリカ企業を世界での自由競争を促す必要がある。最後に、もし我々が、公平で効率的なグローバルな貿易と金融を行なえる制度を各国と協力して整備できれば、もっと豊かになるだろう。より偽善者的でなく行動するにつれ、より開かれた市場をさらに得る機会を得るだろう。これは、アメリカの農業への助成をやめ、彼らの製品に我々の市場を開放することだ。

ブッシュ政権による小ダメージはすぐに修正できるだろう。しかし大きなものは、修復に数十年を要する。ホワイトハウスと議会が、政治的な行動を取らなくてはならない。我々の4兆ドルの借金につく5%の利子を考えると2000億ドル毎年支払われることになる。これは一年に2度のイラク戦争が永久に続くことだ。未来の政府が、この負債を張り続けるのだ。アメリカの富裕層と貧困層の格差の広がりを考えると、その現象は経済面だけでなく将来のアメリカンドリームにも関係してくる。

まさに流れを逆行させるのに一世代を要するような状況である。次の数十年は、我々は貯めるときで、常識を改革するときである。ハーバード・フーバーは今後も、信念の間違いを問われ続けるだろうか? ジョージ・ブッシュが、最上級の苦い顔をさせるに違いないと私には思える。

Jan 25, 2008

景気刺激策効果なし―2008/1/25 ポール・クルーグマン NYT

Stimulus Gone Bad by paul krugman 2008/1/25 NYT 

下院民主党とホワイトハウスは、景気刺激策に対する同意を見た。残念ながらこの刺激策では、本質的に家計の良好な人たちへの減税にしかならず、レモン(*出来損ない、she is lemon だと口説く価値のないという意味。反対はアップル)にしか見えない。

特に、民主党員が、ブッシュ政権のイデオロギー的な頑強さに迎合し、より助けを必要としている人々への支援の要求規定を引っ込めたことだ。この規定は刺激策を効果的にすることができたかもしれない。

厳しい言葉だが、何が起きているのか私が説明しよう。

ビジネス減税のほかに―これも物悲しい話で、別のコラムで書くようにする―今回の刺激策は、年収が75,000ドル以下の労働者に300ドルの小切手を、つまり十分に所得税を支払っている人に還元するというものだ。つまり家計をだいたいきちんとやりくりしている人たちに、大量のお金を還流するに過ぎない。これでは完全に肝をはずしている。

刺激策の最終的なゴールは、支出を増大することで、不況を回避させるか深さを限定させることにある。もし政府のお金が使われることにならなかったら―もし単に人々の銀行残高を増やすだけであるとか借金の支払いに使われるだけなら―この刺激策は失敗に終わる。

家計が上手く行っている人に小切手を送っても、彼らの支出の総体にはほとんど影響を与えない。高い収入を得ている人、よい信用歴を持ち雇用の安定している人というのは、支出を最近の給料の多寡よりも長期的な収入の力を見て決めるからだ。そのような人たちに数百ドルのお小遣いを与えても、銀行に貯金するだけだろう。

2001年の前回の不況時に減税した際、実際裕福なアメリカ人はそうしたのであった。

その一方で、家計の苦しい人にお金を配ったらどうだろう―現金が足りず、給料日を綱渡りしている人―には、とても役立つだろう。困難を和らげ消費支出も押し上げるだろう。

だからこそ数日前に最初に話されていた刺激策は、困難に直面している失業保険受給者や食料券で生活している人たちを助けることに焦点が当たっていた。そして、このような刺激策は非政党的な議会予算局から、もっとも効果的な政策だとお墨付きを得ていた。

民主党員たちの間では、弱体化した経済によって予算の逼迫している地方政府を支援してはどうかという話も出ていた。失業者を支援するように大きな助けとなるだろう。困難を回避し支出減額に動けば情勢はさらに悪化するであろう。

しかし、ブッシュ政権は、あまり使いようもない人にお金を渡すことを好み、明らかに上記のアイディアを潰すことに成功した。

なぜ政権はこうしたかったのか? これは経済的な効果などとはまったく関係ない。私の知る限りどんな経済理論も中上流家庭に払い戻し小切手を送った方が、貧困層や失業者に送るより支出が増えるなどというのは聞いたことがない。その代わり、何が起きているかというと、ブッシュ政権は、「減税」以外の名の付くもの以外には、承認を与えたがらないように見える。

拒絶の背景には、言って見れば、問題を抱えた家庭よりも裕福な人への減税を行なうことへのコミットメントが存在している。そのコミットとは、政府支出は常に悪いことだという振りを維持することである。だからこの刺激策は助けが必要な人を支援することに失敗するだけでなく、経済的な対策そのものとしても失敗しそうだということだ。

フランクリン・ルーズベルトの言葉が心によぎる。「軽はずみな自己保身はモラルとしてもよくないが、今や、経済にとってもよくないことを我々は知っている。」

最悪なのは、民主党だ。経済政策でどんな信用も残っていない現政権に対して強い立場にいるはずなのだが、ほとんど完全に迎合してしまっているからだ。

そう、彼らは裕福な人を支援するのではなく、低取得者の人たちに払い戻しを増額するにはした。しかし、基本的にブッシュ政権の言うとおりにしてしまったのである。

そして、結果的にとても残念が結果として現れてくるにちがいない。

我々には今のスランプがどれだけ深くなるのか見当がつかないし、あるいは定義的に不況と呼べるものに合致するかも不明だ。しかし、単なる大きな下降への本当の機会に直面しているだけでなく、普通の不況への対策―FEDによる政策金利の切り下げる―だけでは経済を戻すのに十分ではないことに陥ってる。(詳しくは、私のブログを見てください。krugman.blogs.nytimes.com

もしこれが起きたら、ブッシュ政権の主張していたことや、それを受け入れてしまった民主党の動向、つまり刺激策と呼ばれるものの効果が得られないことを深く後悔することになるだろう。

スコット・アダムス、メディアは有名人の死がお好き

アメリカの風刺漫画ディルバートの作者スコット・アダムス(scott adams)のブログに、メディアは商売だから、商売になる話つまり人の死(特に有名人)を取り上げたがると言っています。セレブのスキャンダラスな死は一番耳目を集める為、ダイアナはそんなメディアの欲望に犠牲となったのではないかだとか、またサダム・フセインはある種のセレブで、彼を征伐に行く話は、メディアバリューが高く、イラク戦争の直接引き起こしたのは、WMDの隠匿などを理由にしたワシントンにしても、戦争はメディアにとっても大きな活収入源でありしかもセレブのフセインとのカップリングということで、メディアが扇情役を果たしたのではないかと言っています。ルワンダ政府による大量虐殺に介入しない理由も、人種差別が絡んでいるとか石油が存在しないからというわけではなく、単にルワンダに有名人がいないからだと言う見方はありえます。

ロシアのプーチンは、メディアをコントロールしているそうだが、言論の自由などは規制される代わりに、メディアの欲望の暴走による戦争への道は回避できるのではとも言っています。

つまりメディアは特ダネ獲得のためには、戦争をクリエイトするということになるわけです。メディアが収益にインセンティブがあり、自分たちの既得権益を追求し、必ずしも「我々」の利益を代表していない。しかし、その振りはするというのは、今のネット時代に明らかになってきています。既存マスメディアによるジャーナリズムに死を宣告することが、今度はブログなどで活況を呈してきているようなしないような。

Jan 24, 2008

2008年に向けて:アラン・グリーンスパン伝説の継続 by ロバート・ライシュ ブログより

Blog entry by Robert Reich 2007/12/31

アラン・グリーンスパンを形成した世界観には二種類ある。ルードビッヒ・ヴィトゲンシュタインと論理実証主義が土台となった経験主義と、哲学者・社会批評家のアイン・ランドへのリバータリアニズだ。


グリーンスパンの賞賛すべき伝説は前者にある。標準的な経済モデルでは、経済が年2.5%以上の速さで成長し失業率が6.5%以下に低下した結果インフレ懸念が浮上するとされているが、1996年の春までに米経済は、年率6%で成長し、失業率が5.5%以下に低下し、グリーンスパンたちは、景気のペースを鈍化させる必要があった。しかし、経験主義者のグリーンスパンは、経済状況が1970年打や80年代とは異なると見ていた。「イノベーションの進化で、インターネットやe-mailが当たり前のものへと変化した。今までにない状況に歩みを進めている」と彼は自伝に記している。「教科書の戦略では、政策金利を引き締めるべきだが、テクノロジーブームを優先的に考慮すると、何もしないことが得策となった。生産性の問題だ。デスクトップコンピュータやサーバーやネットワークやソフトウエアなど、今までに比較にならないほどに巨大ビジネスになり、ハイテク製品へ資金が流入した。生産性は本当に加速していた。だからインフレの懸念はなかった。」

グリーンスパンは、連邦準備委員会で政策金利を上げないよう説得し、歴史的となった。「切羽詰まって金利を上げず、戦後最長の経済成長を明確にした」失業率は最終的に4%まで低下し、需要が非熟練労働者を吸収し、格差は短期的に収縮した。ビル・クリントンは、1990年のブームを起こしたとして評価されているが、実際は、グリーンスパンが、米国経済がハイテクブームに沸き、過去の経済モデルが通じないことの指摘に躊躇しなかったことによるのだ。

しかし、グリーンスパンの最悪の伝説は、二つ目の思想に源がある。アイン・ランドは、個人主義や覚醒した利己主義者に徳性を見出し、集団的な努力を軽蔑したが、グリーンスパンはランドに傾倒していた。特に、あまり恵まれてない人への救済効果について特に疑わしく思っていた。「レーガンが魅力的なのは、愛の厳しさを教えることは、個人・社会の双方にとって役に立つと明確に説明したことである」と言っている。政府による虐げられた人の支援に否定的だと意味している。

1992年のビル・クリントンは、ある意味レーガンの犯した間違いを修正するために当選したようなものだ。クリントンは、国民皆保険や急激に変化する経済環境に適応できる就業訓練や各種の支援、国家規模の道路、橋梁、港湾の修理など、何年も無視されてきた問題に取り組むことを約束していたが、政権発足時、財政赤字は彼の野心を削らなくてはならないほどに膨らんでいた。皮肉にも、負債は、ロナルド・レーガンの減税とおもに軍事費の増大によって膨張していた。グリーンスパンは、レーガン大統領の最後の年もFEDの総裁であったが、自伝には、レーガンに赤字の拡大に警鐘を鳴らしたとは書かれていない。だから、レーガンの行った支出による財政赤字は「野獣を飢えさせ」、結果的にクリントンのような次に来る民主党の大統領に、虐げられた人々への支援を減じるよう提案させる。つまり、グリーンスパンはレーガンや政権の取り巻きに同意していたといえる。

次の質問は、クリントン政権誕生時、どれだけの赤字縮小が必要だったのか、そして、その結果、当初のクリントンの要綱はどれだけ削られることになったのかということだ。グリーンスパンは、クリントンに赤字解消の為に全てを犠牲するように強制した。「未来への架け橋として、大統領の出立は、長期的な悲劇を取り除くことにある」と。グリーンスパンはクリントンに直接言わなかったが、彼がレーガンの失策のつけを払う嵌めになっていると自伝には正直に書いている。これは共和党によるまったくの筋書きとおりだ。「レーガンは、クリントンに借り、クリントンはそれを支払わなくてはならなかった。」グリーンスパンのクリントンへのアドバイスは、約束と脅威であった。もし、クリントンが負債を減らせば、グリーンスパンは、金利を下げ経済の堅調を約束した。これが「1990年代の後半の状態であった見た目はすこぶる堅調」。これはクリントンの再選に貢献した。しかし、もしクリントンが、負債圧縮を行わなければ、グリーンスパンは金利を下げなかっただろうし、経済は足を引きずり、クリントンの再選を脅かすこととなっていただろう。グリーンスパンは「1996年の大統領選挙は、忘れることができない」と語る。クリントンは再選されたが、グリーンスパンは銃を彼の頭に突きつけていた。「選挙公約を果たすため支出のかさむ政策実施か支出削減計画か、黒か白で、双方を満たすことはできなかった」。私(ライシュ)も含めたクリントンのアドバイザーは、グリーンスパンの望むように予算を圧縮しなくてはならないとは誰も信じていなかったし、そうするとなると、クリントンの選挙公約をほとんど破棄しなくてはならないと考えていた。グリーンスパンが言うように「ホワイトハウス内での反発も広がり、政権中枢は、ウォールストリートと反目する公約を実施しようと躍起だった」しかし、グリーンスパンだけが銃を持っており、ウォールストリートと彼だけが勝者となった。

経済ブームが進むにつれ、クリントンの選択は有効度を増したように見えたが、実際は、グリーンスパンの権力を確かなものにしただけであった。低金利は少なくとも短期的に望ましい効果を発揮した。経済は伸展し、クリントンは再選を果たした。数年後結果的に、税収は爆発的に伸び、財政赤字は消失し、ブッシュ政権が誕生するまでには、大きな財政黒字を計上していた。アメリカはここ数十年来で初めて、ヘルスケアや、教育や就業訓練や、国家インフラ修繕などを賄える源を獲得したのだった。しかし、グリーンスパンは政府が計画を実行に移すことに反対していた。彼はその代わり減税を支援し「恒常的な黒字は、赤字の経常化と同じく不安定である」とし「支出を増額か減税すべきだが、支出を一度増やすと減らすことの困難さ危惧しているが、減税には問題はない」とした

グリーンスパンは、2001年議会の公聴会で減税を要求したが、ジョージWブッシュの行なった巨額の減税のメリットはほとんどが富裕層にしかなく、彼の政治的な支持層獲得に大きな役割を果たした。ブッシュ減税は、国富を溶かし、財政総黒字を数ヶ月で失わせてしまった。グリーンスパンは、特にブッシュ税制を支持したわけでないと書いてるが、それは疑わしい。ブッシュの提案は、当時唯一考慮され、新大統領として経済問題の中心にすえていた。そして、議会もメディアもグリーンスパンが証言した際、活況を呈していた。グリーンスパンは、彼の証言が、ブッシュの減税に支持をしていると認識されることを知っていたに違いない。彼は、ワシントンで数十年過ごし、首都がどう動くかよく知っていたはずである。「私の発言が政治的な意味合いをもつようになるなら、私は辞任する」。クラウド・レインがハンフリー・ボガードを真似ていたのを、さらにまねて、彼は後に妻にそう語っていた。「おやおや、首都に政治が存在していたよ」確かに、グリーンスパンは「法制化への影響力には楽天的であろうとしていた。たしかに黒字を減らす効果は危険になるまで上がっていた。」

グリーンスパンにとって「危険」とは、長期的な視点での悲劇的な問題に取り組む機会を見逃すことである。長期発展とは、ビジネスサイクルの上昇や下降を超越して、中流や下層の国民が生活を向上にも取り組むということだ。新たなグローバル経済下、民間投資が最高のリターンを求めて世界のどこでも行くようになり、国家経済の唯一考慮すべきことは、人に対して特別であり続けることで、教育、健康やお互いを結びつける交通や情報制度などに力を注ぐべきだ。これらは、長期的な生産性の向上をもたらす。しかし、グリーンスパンのリバータリアンの考え方が、仮に2008年に民主党が政権を取ったとしても、必要なことを実施するだけの予算をすでに霧消させてしまっている。アメリカの幼児・初等教育制度は低所得者家族の師弟に必要な予算がなく、数千万人の国民は健康保険に未加入で、数千万が現在加入している保険代を賄えなくなるに違いない。アメリカのインフラは経年劣化がひどく、昨年7月、1914年製の蒸気パイプがニューヨークシティで破裂した。翌8月、ミネアポリスで設置後40年の橋が崩落し数人の運転者がなくなった。最後に、これらのすべて差し置かれたことにより、格差がますます広がっている。

アラン・グリーンスパンの経験主義は、もっとも長期にわたる経済拡大でアメリカに大きく貢献し、金融政策の歴史を書き換えたが、アイン・ランド型のリバータリアンとしては、国に致命的な傷を負わせた。

エコノミスト誌CSR特集(結び記事)2008年1月17日版

Do It Right

CSR
は覚醒した個人による自分満足である

CSR産業は、この特集で見てきた(この記事が10本くらいある記事の最後。それ以外はこれら

CSR in the mainstream

The virtues of CSR

CSR's effectiveness

Risk, and managing it

CSR's changing climate

The ethics of consumers

CSR goes global

Getting CSR right

Audio interview

Sources and acknowledgments

Offer to readers

)ように、碌な状態とはいえない。企業は次々にCSRを方針に組もうと動いている。大きく国際的な企業がCSRと無縁であることはできない。気候変動はさらにそれを増幅させた。投資家もかつてないほどの関心を寄せている。新たに今までなかったNGOや、競合他社や、他の企業との協力関係が生まれ出ている。そのメッセージは、サプライチェーンだけでなく世界中に広まっている。

これらを可能にしたのはグローバリゼーションによる。グローバリゼーションは多くの企業の富を創出したが、社会貢献についても提起し責任を持たせた。一方で保護主義が急な浮上してきた。保護主義は危険で問題外であることは言うまでもなく、いろんな形で保護を啓蒙する活動家には何を求めているのか注意すべきだ。経済不況はCSRへの取組も萎縮させた。不況下でCSRは、なくてもいいものにうつつを抜かす貴族趣味に映ってしまうからだ。

しかし、企業の良心的な活動は引き続き花開くだろうが、どのような道筋を描いていくだろうか? 次の波は、誰かが言うように、革新的なイノベーションが起こり、新たな「社会起業家」を生み、確立した大企業に代わりCSRを加速させるだろう。salesforce.comのベニオフ氏は、社会起業家は、次世代CSRの「コードをクラッカー」考えている。CSRが利益や自己の好きなことになることだ。ベニオフ氏自身も、自分の会社の株式や、事業利益、従業員の時間の1%を地域貢献に使うというフィランソロフィを実施している。

最近の巨額の富の創出は、巨大な金持ちを数多く生んだ。ほぼ金融やソフト業界で、新しい形の賢くて資本主義的なフィランソロフィにも興味を持っている。資金を革新的な潜在性をもつ技術(例えば環境方面)に投資し最大限のインパクトを与えようというもので、さらに需要があれば社会起業家としてスケールアップするだろう。

この種の企業はCSRに集中特化することで、古くからの大企業のCSRを副次的に扱うやり方に対してアドバンテージを持つ。自分の金を使い、計測できる結果も望む人たちだ。「やりがいがある」だけでなく「本当によい」ものを求めている。リスクに貪欲に、しかも金銭的なシビアで、社会的投資へのリターン指標を大企業に教えることになるだろう。

つまり、CSRは単にトリビアではない。6月にマイクロソフトのフルタイム職を去り華麗なまでに資金潤沢なチャリティ財団に移るビル・ゲイツに負うところがある。彼は2009年までに年間30億ドルを寄付するという。ここまでの寄付は誰も行ったものはいない。この資金を例えばアブソリュートリターンフォーロンドンキッズは、イノベーティブなチャリティを通じ、提供者の資金を途上国で起業する人たちへ投資してる。

この起業モデルによる社会や環境問題への取組は、CSR業界に旋風を起こすに違いない。転換型の技術や新たなビジネスモデルを生み出すのには長い時間を要するが、今こそ大企業も違いを見せるときである。彼らはこれから、新たな仕事の仕方を見つけるだろう。それを吸収し社会的な冒険を成功に導くことができるに違いない。これから数年で、CSRは主に「いかに大企業が、複雑な環境下で持続可能な成長戦略を取り込むことができるのか」と、ハーバード大学のジェーン・ネルソンが示す方向に向かうに違いない。

少数のリーダーと、多くの遅れた人たち

この報告書では、ある企業がリスクを管理し機会を搾取するなど興味深いことを行なっている。しかしこのような例はごく稀である。同じような名前が何度も浮上するだけで、ほとんどの業界で、企業責任ビジネスはわずかなリーダーがいるだけで、多くは実行を後追いしている。

CSRのリーダーたちは、グローバルサプライチェーンを実施しようと、基準を敷設しようだとか、どうやって正確な環境情報を製品にレベル付けできるのだろうかなど、癖のある問題を扱っている人が多い。彼は、方針の総責任者として意欲があり、企業責任やサステナビリティ関連の代表として、ボスにその旨を報告し、多機能役員委員会で戦略が企業全体と合致しているか確認する役割を担っている。非財務的対策の進捗が、企業全体のパフォーマンスの鍵となることが、CSRをビジネスに統合しようというのはそこを攻める企業である。

後追いの人たちはCSR業界にも沢山いる。今や、活動を数多く羅列した分厚い報告書を出版しているだろう。これは記載項目が多すぎで、ビジネスに真恩恵を与えるものに絞ったほうがよい。これらの企業は、炭素排出減のスキームの効果がどれだけあるのか、倫理的な購買計画が仕事のコストにどう影響するのかをあまり考えていない。CSRの担当者が企業広報の部署に所属しており彼らの本当の動機はPRにあるからだ。

それでは出遅れ者はというと? 2タイプ存在する。最初のグループの企業は、CSRのことに注意を払っていない。これは「導入が遅れた」として攻撃されるリスクを負っている。二つ目はもっと皮肉が利いており、CSRを無視しても今のところ問題ないと考えている企業だ。多分、彼らは、あまり主要な産業にいないか、規制が最低限の国に立地しているに違いない。企業市民として時間と金を使う競合他社から、ただ乗りと思われてもまったく気にしない。とはいっても、新たな規制の対象になったり、CSRによる機会を見過ごすリスクを抱えることになるだろう。

物事に逆らわずに進める

CSRの一つの見方として、社会の急激な変革を予測し次のビジネスに必要な行動である(あるいは、少し先のビジネスに必要なもの)。 これは企業レピュテーションやリスクを管理し、競争優位を高めることになる。優れた経営者ならいずれにしても取り組まなくてはならない。情報は断然早く広まり、企業はさまざまな反響に晒されるため、今までよりさらに明確な絞込みとより大きな努力が必要になっている。

CSRをつぶさに見ると、覚醒した自己利益つまり、株主に長く持続的な利益を還元するというようなものにならざるをえない。本当に、責任あるビジネスは、決して営利的規範をないがしろにしてはいない。今後もビジネスを行ない続けること、製品やサービスを提供し続けることが、事業体にとって最も必要なことだ。CSRを無視するのが危険というのは、ビジネスの条件を無視していることになるからだ。

 

企業理念と営利的妥当性の相互運動が、将来のビジネスを形成する。価値観も営利性も弱い企業は、単にダメな企業である。強い価値観をもつが利益が上がらない企業は、価値観を利益に還元することへの注意が不足しておりよい企業とは呼べない。一方で、利益はとても上げているが、企業責任にあまり注意を払わない企業は今のところはよいが、今後リスクを増大させることが考えられる。最後に、CSRへの強いコミットメントと強力な営利性をもった企業は、成功する機会に多く恵まれるだろう。

つまりCSRはよいビジネスを行なうということそのものなのだが、CSRを何かと明確に区分けする必要があるのだろうか? 今のところ、奇妙だが、まだその必要がありそうだ。企業が直面するリスクや機会について考え、もしCSRへの取組むことがさらに成長に寄与できると思うなら、行なう価値があるだろう。金融アナリストは、企業のCSR方針を見ることが経営一般の品質を測る上での重要視点となると考えている。

CSRの名の下で行なわれているのは、何も特別なことではない。しばしば、広報部門による外部へのメッセージ発信と対して変わらないと考えられていたが、企業のCSRが成長するにつれ深化し、ビジネスと統合され、戦略の源泉となり全ての意思決定に影響を及ぼすようになっている。今後、才能のある人々がこの領域で働きたいと思うようになるだろう。

この傾向がより強まると、皮肉的に、CSRを話題にする日々が増えていく。21世紀のビジネスはそれが単に当然のものとして行なわれるに違いない。「私の仕事は、仕事から私自身を設計することだ」とある会社の企業責任管理者は言った。

今のところ、持続可能部署代表者とその関係者は、高い需要があるし、社会責任を北京語やヒンズーによって喋り世界に発信する機会も増大するのも疑念の余地はない。彼らがまたも、似たような議論を行なうようになるまでまだしばらく時間があるかもしれない。


Jan 21, 2008

レーガン神話をぶっとばせ―paul krugman NYT コラム


歴史の語り口が問題だ。保守派がいまだにFDRやニューディールについて糾弾する本を書いているのは、かなり昔に過ぎたアメリカの出来事が現在の政治に影響することを知っているからだ。
だからバラク・オバマがロナルド・レーガンを誉めそやすような様を、やり過ごすことができない。レーガン政治をどう語るかというのは、現在の政治に大きな影響を与えるからだ。
ビル・クリントンは、1991年に大統領キャンペーンを始めたときにこのことをすでによく分かっていた。「レーガン―ブッシュ時代」は「公共の義務より私的獲得を進め、つまり特定の者の利益を公共の利益に優先させ、富や名誉を労働や家族に優先させた。1980年代は欲望と利己主義、無責任と過剰と無視のギルド時代だ」と宣言した時代であった。
それとは対称的に、オバマ氏は、最近ネバダの新聞に、レーガンは「それまで欠けていたダイナミズムと起業家精神をもたらした」と発言している。
多分、オバマ氏は、彼の支援者が言うように、レーガンの政治的な手法を尊敬しているのだろう。(私には、彼は保守派の編集委員の気を引こうとしているように見えるし、実際支持を取り付けた。)しかし、レーガノミックスが失敗だったという彼の指摘はもはや、どこにあるんだい?
失敗だよ。レーガン経済は一山当てただけだ。そう、1980年の半ばにブームがあり、経済は、ひどい不況から回復した。しかし、富裕層はさらに裕福になり、大部分のアメリカ人の経済状況はほとんど向上しなかった。1980年代後半まで、中流層の収入は10年前とほとんど変わってないし、貧困率は実際上昇していた。
明らかな不況に襲われた際、世間は裏切られた印象をもった。その裏切りられた印象をクリントン氏は、自己のホワイトハウスへの乗込みに活用できた。
現実を眼前にしてオバマ氏は何を話しているのだろう?米経済にすばらしいことは確かに起きた。しかしそれはレーガン時代に起きたわけではない。
私には、例えば「ダイナミズム」の意味が分からない。が、もしこれを生産性の上昇を意図しているなら、レーガン時代にそれが伸びたためしはない。生産性が最終的に伸び始めたのは―ブッシュ政権の経済諮問会議ですら、1995年を契機としていっている。
同様に、もし起業家精神を、アメリカのビジネスリーダーの才覚に自信をもつことを意味しているなら、それも1980年代には起きていない。当時、あらゆるビジネス本の表紙は侍(日本人)が飾っているようにしか見えなかった。生産性と同様、アメリカのビジネスの栄光は、技術と経済リーダーシップを取り戻し始めた1990年代半ばまで戻ることはなかった。
私は、なぜ保守派は歴史を書き換え、これらの果実がレーガン時代に起きたことにしたがるのか理解できる。詳しく言えば、1981年のレーガン減税が実際は14年ほど経ないと効果がなかったのに、経済成長に役立ったと既成事実にすることにある。(リチャード・ニクソンの「アメリカの朝」にはクレジットを与えないのかい?)
しかし、なんで進歩派と称する人(オバマ氏)が、このような歴史の書き換えに加担しているのだろうか? しかもレーガノミックスの失敗があちこちで起きているこのご時勢に。
ロナルド・レーガンのように、ブッシュ大統領は、富裕層のために巨額の減税を導入し、やがて中流層へも還流されるだろうと約束した。また、レーガンのように彼も経済スランプ時に政権を始め、スランプを脱出したことを政策の正しさの証明だと述べている。
そして、レーガノミクスのように―しかしさらに急激に―ブッシュノミクスは悲嘆に終わった。今や世間の風は、1992年と同様冷たい。給与はインフレ率より低く。ブッシュ時代の雇用成長は、クリントン時代に比べると無気力そのもの。正式な不況とはいえずとも―これからそうなるのは避けようもないが―1990年代の楽観性は彼方に消えうせた。
端的に、進歩派は、保守派の役立たずの一度も機能してこなかった政策を修正しなくてはならない。
これは単に次の選挙を、どうするとかいうレベルの議論ではない。クリントン氏は、選挙に勝ったが―オバマ氏は正確に指摘したように―彼はアメリカの軌跡を、レーガンが果たしたようには変えることができなかった。どうしてだろう?
まあ、クリントン時代の偉大な失策とも言うものは―健康保険の導入に失敗したことよりもはるかに大きい。無論双方は関連しているが、要は、レーガン神話ともいう語り口を変えることができなかったことだ。ともかく、未だに共和党員たちは、われこそ次のロナルド・レーガンだと演じているじゃないか。
今や、進歩派たちは、レーガン主義は、根本的に間違いだということを議論する2度目のチャンスを与えられている。今再び多くのアメリカ人は、国が間違った方向に向かっていると感じているときだからだ。しかし、リーダーたちが、どんな意味でもレーガンは正しかったなんてことを言っているようでは、そんな議論は成立しないだろう。

Jan 20, 2008

エコノミスト誌CSR特集 2008年1月17日

よいビジネスとは

The Economist 2008/1/17


CSRといえば、かつて企業の副次的活動として考えられていたが、今や企業の本流の活動として見られている。とはいっても、ほとんどの企業はまだまともに実践できていないと、ダニエル・フランクリンは言っている。インタビュー

Illustration by Ian Whadcock

イギリスの最大の小売業者、マークス&スペンサーのロンドン本社のロビーでは、巨大な電子字幕が文字をとめどなく流している。5年間で100項目を目標とする「PLAN A」に対する進捗状況である。M&S社は、ウガンダの15000人の子供たちの教育支援をし、年に55000トンのCO2を減らし、4800万着ものハンガーをリサイクルし、2000万もの生地をフェアトレード綿へ切り替えた。すべての店舗がPLAN Aの達成トップを目指して頑張っている。

M&Sの字幕は、CSRの今の状況がどうなっているのか述べている。まず第1、CSRというラベルは誰も好きではないということだ。1年前、M&SCSRプランではなくPLAN A(「というのはPLAN Bは存在してなかったからだ」)を発足させた。この委員会の監視責任者は、計画を「ビジネス方針策定委員会」と名づけた。他の企業では、おおよそ「企業責任」(「社会」という言葉を除外しているのは意義が限定されるため)や「持続可能なビジネスの構築」などという言葉を使いたがる。ある北欧の企業代表は、ディレクターの肩書きを、責任性あるいはトリプルボトムラインリーダーシップなどと銘打っている。これらの膨れたコードをどうにか簡素化して、よい企業であろう(見えるようになろう)と意味になる。 

第2、その字幕には、よいことリストとして現在進行しつつあるたくさんの項目を示してる。地域コミュニティでのボランティアから、従業員の面倒をしっかりみるというのから、世界中の貧困者を支援するというものまで広きにわたっている。曖昧さと対象の広さから、企業は何に絞って取り組めばよいのか、わかりにくいとしている。

第3、M&Sの字幕は、CSRの流行を示している。電子スクリーンや、ポスターあるいは分厚いリポートなどを通じ大きな企業はよい自らの市民性について語りたがっている。ウエブや広告会社を通じてメッセージを発している。企業のエグゼクティブたちは、カンファレンスなどで地域への情熱や、彼らの会社が炭素低排出への新たなコミットをについて語りたがっている。エコノミスト誌の姉妹企業である、エコノミストインテリジェンスによるあるレポートの調査(survey carried out for this report)では、企業責任は、多国籍企業の役員たちの優先度が急激に上昇していると示されている。

だからといって、CSRが、急激に偉大な考え方になるわけではない。この報告では、CSRはまだ誤解されているし、ひどいなどといわれているが、現実的にCSRを避けることのできる企業は限られている。

企業世界を超えてCSRはシンクタンクやコンサル事業に豊かな土壌を提供している。政府も、かつてないほど高い関心を示している。例えばイギリスでは2006年の企業法を導入し、公共企業に社会や環境問題に関する報告する要求をしている。国連はニューヨークを拠点としたグローバルコンパクトを通じて、企業責任を世界中にプロモートしている。

ビジネススクールも一役を担っており、コースや特別な学科を設置しMBA学生を喜ばせている。「CSR活動への需要はここ3年ほど上昇している」と、ニューヨーク大学のスターン・ビジネススクールのトーマス・クーリは述べる。書店の書棚には「よい企業たれ」や「よい企業の彼方に」や「社会責任のイロハ」などのタイトルの本が溢れている。

なぜブーム化しているのだろうか? 沢山の理由がある。企業が好ましいレピュテーションや、その延長でビジネス環境を守るのにより努力が必要になってきているからだ。エンロンやワールドコムの不祥事など、巨大ビジネスの信用の失墜は、政府の大鉈による規制強化につながる。かつてないほど規模を増している非政府組織の戦士たちが多国籍企業のちょっとした悪行動に目を光らせ戦おうと準備していることもある。さまざまなランク付けや格付けなどが、企業の非財務的活動についても財務活動と同様に開示しプレッシャーを与えている。かつてないほどに、企業は一般の衆目に晒されているということだ。醜聞が世界中のあちこちに広まっている。例えば、ある企業のブランドの名のついたシャツの縫製に児童がかかわっているとなると、即座にカメラに収められ、世界中に配信されてしまう。インターネットのお陰だ。

今や気候変動への懸念がとても高まっていて、CSR業界の中でもっとも成長著しい牽引役となっているようだ。偉大なる緑に対する意識の目覚めが、次から次に企業は環境への影響を真剣に受け止めるようになっている。これは驚くべきことでもなく、マッキンゼーコンサルタントの調査によると95%の企業エグゼクティブが、世間は企業への公共的な責任を5年前より強く望むようになっていると答えている。

投資家たちも強い関心を寄せており、例えば、アメリカにおけるプロの経営者は9ドルに1ドルは「社会責任投資」に何らかの関係を持たせていると、コロンビア大学のビジネススクールのゲオフリー・ヒールは語る。ゴールドマンサックスやUBSを含めた巨大銀行などは、環境、社会、政府問題を、株価研究の中に取り込み始めた。金融業界が、混在したシグナルを送っているのは本当である。財務成績こそへの要求がすべてに勝っている。とくに特定業界であるプライベートエクイティなどは、CSRにはきわめて懐疑的だ。しかし、プライベートエクイティ自体も、自発的な透明性コードに同意し、世間へ返答するようになってきている。

 

これらの外部的なプレッシャーと同様に、企業内部の従業員からもCSRへの強い要求に直面しており、すぐれた才能の獲得競争にも重要な位置を占めるようになってきている。どの巨大企業にCSRへの努力とビジネスの士気の関係について尋ねてみても、CSRはモチベーションを高め、スタッフを引き付け、また引き止めることになると答えるに違いない。「従業員は、自分の理念が共有できる企業で働きたいと思っている」と、会計企業のKPMGの欧州CSR部門長のマイク・ケリーは言う。

やることが多すぎる?

CSRについて関心がこれだけあるから、大きな企業は優れた取組を行なっているに違いないと思うが、そうでもなく、ほとんどの企業はいまだ奮闘中である。

CSRは今や、三つの広い層を持ち、お互いそれぞれの上に成り立っている。もっとも基本的なのは企業フィランソロフィーである。税引き前利益から1%の地域還元のようなことは正しい行いように見られている。しかし、多くの企業は、この程度の手に届く範囲のフィランソロフィー―つまり、単にチャリティに小切手を切るようなことは、もはや十分ではないと感じている。株主は、彼らのお金が、活用されているか関心を寄せているし、従業員は、積極的によい仕事に従事したいと思っている。

企業の行動が批判されているときには、お金だけでは答えにならない。したがって、CSRの二つ目の層は、リスクマネジメントの領域になってくる。バボパール化学工場の爆発やエクソン・バルデズの石油流出事故などの環境災害を起こした1980年代に始まり、さまざまな業界が次から次にレピュテーションの失墜に苛まされた。 巨大製薬企業もHIVエイズに効く抗生物質薬を途上国に安く提供することを拒否し、同様のダメージに見舞われた。食品企業も、肥満の増加によってバックラッシュに直面した。「悪に加担するな」のような企業モットーだけでは、大した対抗策にならなかった。グーグルのようなアメリカでも少ないプラチナテクノロジー企業も、中国での行動について、上院議会において丸煮えにされてしまった。

だから、企業は遅ればせながら、リスク管理に取り組もうとしている。NGOや政府と対話をもち、行動基準を策定し、透明性の高い活動報告を行なうよう取り組んでいる。さらに、同じ業界の競合とも協力し、共通のルールを設置し、リスクを分散し、意見を共有しようとしている。

これらは、大まかに防御的であるが、企業は、ゲームを前に進める機会もあるということを強調したがる。機会の強調が、CSRのもっともトレンディな第3の層になっている。価値を生み出すという考え方である。2006年の12月に、ハーバードビジネスレビューは、マイケル・ポーターとマーク・クラマーの、いかにCSRを戦略的に行い、企業の競争優位を獲得するのかという旨の論文を発表した。

これこそ企業エグゼクティブが耳をそば立てたい議論であった。「よくやることでうまくやる」というのは魅力的な呪文である。ビジネスがCSRをコア事業と「符号させ」、「企業遺伝子の一部」にすることに躍起になっている。このように企業の意思決定に影響を与えている。

いくつかの興味深い例外に、レトリックが現実に通じない状況が見られる。「CSRはまだ根を深く下ろしていない」とボストンカレッジセンターの企業市民部署のブラッドリー・グーギンは言う。彼の運営するセンターの最新のアメリカが果たす役割調査によると「実践の時」だと呼んでいる。

客観的に見ると、企業努力は戦略的な方向に向き始めている根拠がある。ニューヨーク拠点との商業組合、企業フィランソロフィー促進委員会によると、企業貢献の「戦略」への動機は、2004年の38%から、2006年には48%まで跳ね上がったと報告した。しかし、ほとんど企業戦略とかみ合ってない場合がある。トヨタは、グリーンイメージやモータリゼーションの責任をプリウスなどのハイブリッドモデルによって勝ち取っているが、アメリカで標準化しつつある排出規制の厳格化に対して他社と共に反対している。調査は、企業の望む姿と実際の行動のギャップを指摘している(チャート2)。そして、富裕国の企業の望む姿と社会が企業に望むあるべき姿には相当なギャップがあるといえる。

ポーター氏によると、CSRへの関心の高まりにもかかわらず、ほとんどの場合「焦点がぼけすぎているか、急ぎすぎ、あるいはあまりにも手広く支援しすぎで、実際のビジネスと無関係だ」と指摘している。ポーター氏のようにハーバードビジネススクールのダッチ・レオナルドは、価値創出型のCSRについて「信念の行動は、ほとんど幻影にすぎず、実践されている例がほとんど存在しない」と述べている。

これはまだ当然かもしれない。ビジネスがよいことを行なうというのは、エグゼクティブたちにとってまだ難しい質問かも知れないからだ。CSRのパフォーマンスを測ることができるだろうか? NGOや競合たちと協力できるだろうか。果たしてグリーン戦略に、本当に競争優位性が存在するのだろうか。中国やインドあるいは他の新興国から浮上してくる企業は、どのようにこのゲームを変えていくのだろうか?

この特集では、企業はいかにCSRを実践しているのか詳細に見ていくことになる。結論から言うと、取り組みはまずいということになる。単に悪事を隠すものであるかもしくは、物事を積極的に悪くするものである。しかし、優れた取組とは、企業の副次的な活動ではなく、企業活動が美徳を備えているかということだ。それこそよいビジネスである。

Jan 19, 2008

私の為に泣かないで、アメリカ―ポール・クルーグマンNYT(The New York Times)コラム

don't cry for me America paul krugman 2008年1月18日発行NYTコラム

メキシコ、ブラジル、アルゼンチン、メキシコ再び。タイ、インドネシア、そらからアルゼンチン再度。

そして、今や合衆国に。

この話は過去30年繰り返されている。世界の投資家はリターンについて嘆いており、その代わりを常に探し求めていた。それで、投資先国や何かを見つけたと思うやいなや、資金がどっと流入する。

しかし、ついにそのような投資機会が、思ったように行くわけがないのが明白であり、資金は大慌てで流出するが、先に好感触だと思われた投資先が惨憺たる結果に終わるのだ。これがラテンアメリカやアジアで幾度となく繰り返された金融危機である。そしてこれが、合衆国における住宅と信用を組み合わせた危機の顛末でもある。途上国がよくしでかしていた役を、最近我々が演じているのだ。

その理由は後で説明するが、アメリカが、言ってみればアルゼンチンのような深刻な不況に見舞われるということはないだろう。しかし、問題の原因は、とても類似している。そして、これらの原因を理解することは、合衆国の経済政策が、間違っていたことを理解する一助になる。

我々の混乱の世界的な原因は、ベン・バーナンキ以外にある。彼は2005年に、FEDの総裁に任命される前に、有力な発表を行なっていた。バーナンキ氏はよい質問をした。「なぜ、合衆国は世界最大の経済国なのに、世界市場からこんなにも―貸し出すのが自然に見えるのに、借り入れを行なっているのか?」

彼の答えは、この主な原因はアメリカ自体になく、海外にあると言った。特に、途上国の経済は1990年代には投資家に好まれていたが、1997年に始まった一連の経済危機によって、揺さぶれられることとなった。結果、投資家は、資本の投資先を、資本の大元へと急激に転換させ、途上国政府は、巨額の準備金を海外資産へと集中しだしたのである。

結果、バーナンキ氏は、「世界的貯蓄過剰」巨額の資金が、準備されたまま行き場がなくなってしまったと述べた。

最終的に、ほとんどの資金が、アメリカに来た。なぜ?バーナンキ氏いわく「米国金融市場の深さと洗練具合」だと言う。

一つだけ除いて彼は正しい。米国金融市場は、洗練されているというより詭弁的だと判明している。詭弁というのは、私の理解では「無効な議論を適宜に示し、誰かを騙すことを望む単なる理由付け」というもので、援用すると「疑い深いローンをコラテラルデットオブリゲーションとして再パッケージし、完全に安全なトリプルAランクに格付けし、絶対に失敗しないというイメージを創出する」というもの。

言い換えると、合衆国は、実際には、世界の余剰資金を活用できる特別な場所というわけではなかったということだ。そうではなく巨額の資金がひどい有様で投資された場所だった。直接、間接問わず、世界の投資家からの資本は、住宅と信用バブルに使われ、それは弾けてしまい痛みを伴う結果を生んだ。

さっき述べたように、これらの結果は、途上国で起きた類似の兆候による犠牲ほどひどい不況にはならないだろう。貯蓄の優美さによるアメリカの場合、対外債務は我々の通過価値にすでに含まれているからだ。これで我々はアルゼンチンが経験したような、ペソの落下がそのまま国の債務の原因となるような死のスパイラルに陥ることはないだろう。ドルは国内資産によって膨張しているからである。

しかし、通過下落によるマイナス要因がないにしても、今後1~2年はとても不快な状況なのは間違いない。

何が間違ったのだろうか? 評論家たちは、FEDが低金利によって住宅バブルを生み出したと言っている。しかし、これらの低金利にはふさわしい理由がある。最後の不況は、政府発表では、2001年の11月に終わっているが、さらに2年経つまで、米国経済は雇用を提供できることができず、FEDは、日本型の長い経済的停滞の可能性を正しく懸念していた。

本当の罪は、FEDとブッシュ政権にあり、それは市場の乱脈の監視に失敗したことにある。

それは、アラン・グリーンスパンが、住宅市場に少しばかり「流動的」になっている以上のことが起きていたことや、サブプライムの扱いが酷かったことを単に認めようとしなかったこと
にあるのではない。問題は、アメリカの金融制度が、より複雑になって、かつて我々を保護した銀行規制の枠組みを超えてしまっていることで―そうであるが、枠組みを最新のものにする代わりに、我々が得たのは、自由市場の是非に対して賞賛ばかりであった。

今現在、バーナンキ氏は、危機管理状態に置かれており、前任者の残した混乱に取り組もうとしている。私には、彼の昨日の証言に何の問題もないように見える。ただ不況を避けるにはもう遅きに失した感は免れないけども。

しかし、ちょっと混乱が落ち着くのをまって、バーナンキ氏が、金融市場がとってもとっても不味くなったことを修正するために何が必要か議論を主導していくことを期待しようではないか。

Jan 3, 2008

禅とセックス

一週間に7回セックスするのと、2回セックスするのではどちらが満足度が高いのか。セックスの数は多ければ多いほど満足度が高いというわけでなく、頻度が高いほど、一度の満足度が下がる。人間は同じ刺激に慣れるからであり、セックスの満足度を高めるには、頻度と一度の満足度を高め最適化する必要があるのだと思われる。

パートナーを変えることにより、一度当たりの刺激を強め、快楽逓減を防ぐことが可能かもしれない。しかし、パートナーを千切って変えるというやり方はあまりお勧めできない。セクシャルトランスミッティッドディジーズにかかる頻度が上昇し健康を失う可能性と、スティディな相手との持続的な関係を続けることが今後難しくなる恐れなどリスク要因が増すからだ。

セックスの回数、一度の満足度、パートナーの変化の周期、病気にかかるリスク等、オプティマイズされたセックスを行ないたいもの。