契約についてのクラスを、経済学者が教えると、契約を行なうことで、市場を効率的にし利益が得られることを強調するが、哲学者が教えると、契約者双方が利益を共に折半するということを強調するらしい。経済学者は効率性を教えるけど、哲学者は平等を教えるということなのだ。それで、学生相手に実験をしたところ、経済学者に教わった学生は、安いものであれば、パイを配ろうとするが、同時に、自分達のためにパイ全体を欲しがるものでもあるとのこと。
この議論で思い出すのは、僕がサンフランシスコの大学にいるころ、ちょうどブッシュ大統領が最初の選挙の予備選を戦っていたころつまり2000年で、哲学の学部長と経済学部長のディベートがあった。哲学の学部長の弟さんは、日本の大学で英語を教えていることもあり、日本から来た哲学科の学生は珍しいということで個人的にも割りと僕の面倒を見てくれた温厚な先生だった。が、このディベートでは赤ら顔をもっと真っ赤にして議論をしていた。その熱くなる議論の根本的な違いは、上に指摘されてたように、効率性を強調するか、平等さを強調するかの哲学者と経済学者の立ち位置が違いにあると思う。話がかみ合うわけがないので、お互いを説得しようとすると、熱くならざるを得なくなる。
この先生は、アメリカの社会主義運動でも割と有名な方で、僕はその先生の授業も取ったけど(クラス自体は、アメリカのプラグマチズム)、今ではどちらかというと経済学的な考え方はしっくりきてるし、市場シェアや効率性、マーケティングなどを意識する職業にもついてる。じゃあ、哲学科でとったことなんて、まるでエキセントリックな怖いもの見たさで取った趣味みたいなものなのか?というと、単にそういうものでもなさそうだがそれを考え出すとまた夜眠れなくなりそうなのでやめようと思う。マルクスとかは、自分の中でなんだったんだというのは、でも少し考えてみたい気もするが、そんな時間がまったくないような気もする。
Ray Fisman reports:
All students [at Yale Law School] are required to take courses in contracts and in torts, and they're randomly assigned to an instructor for each class. Some of these teachers have Ph.D.s in economics, some in philosophy and other humanities, and some have no strong disciplinary allegiances at all. Professors are encouraged to design their courses as they see fit. Instructors from economics may emphasize the role of contracts in making possible the efficiency gains of the marketplace, while philosophers may emphasize equal outcomes for contracting parties. So economists teach about efficiency and philosophers teach about equality.
To figure out whether this affected their young charges, we put 70 Yale Law students in a computer lab, and had them play a game that would reveal to us their views on fairness....It turns out that exposure to economics makes a big difference in how students split the pie, in terms of both efficiency and outright selfishness. Students assigned to classes taught by economists were more likely to give a lot when it was cheap to do so. But they were also much more likely to take the whole pie for
themselves.
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