May 6, 2008

東京の人口がまた日本の10分の1を越えたらしい

僕も最近地方から都市に流入した口である。ま、このセンサスには当てはまらないかもしれないけど。このような人口の流入に歯止めをかけることができないのは、衰退する地方にあり、これはいたし方のない状態である。ちなみに、僕は鹿児島から出てきたのだが、この地方の改革スピードの遅さは絶望的であり、風光明媚、空気や食事や酒の上手さを考慮しても、何かをしようなんて気を挫くには事欠かないのは確かである。例えば、僕のいた街は、6市町が合併した人口12万の中規模都市に生まれ変わり、新たに観光や産業の集積地としての方向を打ち出すべきなのだが、そのような息吹は合併後の2年の間にほとんど感じたことがない。例えば、観光地としてというなら、観光サイトをせめて英語板を出すとかまっさきに考えるだろう。鹿児島とほとんど緯度が変わらず、飛行機で30分程度で往来できる上海の富裕層に金を落としてもらうなどという発想は小学生でもすると思う。となると中国語のサイトも作りたいはずなのだが、2年経っても何も出てこない。出てくる兆しすらない。翻訳サイトなど、数十万もあればできるはずだ。その一方で、消防員への休日出勤過払いが1990年から行なわれており、つい最近まで行なわれていた。ということで累計4400万円の余計な支出が行なわれていたことが判明した。地方自治法の規定で、過去5年は遡って返還義務が発生するのでそのうち2500万円は返還されるが、残りの1900万は、どうするの?って聞いたら、黙殺された。法的には強制力がないのだけど、納税者からしたら泥棒紛いに違いはないわけで・・・やんなっちゃうねってとこでしょう。要は、この無駄な支出を翻訳サイトの構築でも使ってくれてた方がはるかに街にとって有効だと思う次第である。こんなやる気のない街に、ふるさと納税制度を使ってまで納税したいか、答えは否だろう。納税って、憲法に定められた義務だけど、僕らとしては、企業の株主のように、ちゃっと運営している自治体の株主になりたいと思うし、運営もそれなりのリターンとディスクローズに努めてもらいたいもんだ。

と、地方を考えるとき、わが街になるわけだが、この惨憺たる有様なので、そこで何かしたいという気が失せる。中央政界でのガソリン税についてのやり取りは、自民対民主という政治の引力ゲームになっている中、地方はガソリンが安い方がいいという言い方で、どうも利用されている気もしないでもない。しかし、その一方で、東国原知事のように道路は必要なんですという主張も出てくる。つまり暫定税率維持を望むというものだ。ただ、これだと車が必須の地方にとって道路税を削ってまで安くなくていいという主張だ。どっちがいいのかっていうと、いろいろ議論は出るだろうけど、国政を真っ二つにしてまで話す内容なのかという疑問もある。自民党の道路族という古くからいる泥臭い一派を一掃するという隠れたテーマもあるかもしれないが・・・。

結局、日本の政治や官僚の堅牢な家父長的な制度をぶっ壊していかないとやっぱりダメだと思う。この家父長制ってのは、儒教型の権力構造だけども、地方なら中央に頼りっぱなし、つまり親方日の丸の発想である。だから、わが街を見ても、自分をどうにかしていこうなって発想が皆無であることだ。常に、中央や県からの指導に従ってやっていくと。優秀な官僚様の指導だけでなんとかなるような簡単な世の中ではないのは一目な中、未だに、その発想は同じというのが、特に地方行政のあり方ではないかと思われる。中央に依存する地方、国民を食い物にする中央。それにうすうす気付いててもやっぱり鴨られる国民。東京に来さえすればなんとなかなるわけではもちろんない。しかし、地方の衰退の原因でもある、日本の行政だけでなく大企業には散見される依存型の発想、家父長制の幻想から目覚める必要があるんじゃないのかなあ。


<追記>

英語ブログに以下のように書いていたんだけど、つまり、鹿児島ってのは、活火山のもくもくとした熱い煙を見ながら、「わが胸の燃ゆる思いに比ぶれば、煙は薄し桜島山」なんて詠みながら倒幕と近代改革の野心を秘めて動いていたわけだ。そして、明治の鹿児島からは、西郷隆盛と大久保利通というとても対照的な人物を排出していて、西郷ってのは、江戸城無血開城に貢献し、その後政府の要職につきつつも、西南戦争で、近代化についてけない侍の側についてあっけなく負けて、田原坂で切腹した人間だ。大久保は、一方、そんな負け犬の片棒ではなく、理性的判断に従い日本の発展に貢献しようとした。鹿児島の人間は99%西郷ファンである。西郷大好きな人たちの鹿児島の今は、相変わらず風光明媚な風景以外は、完全に取り残された地となっていることだ。多分、大久保ファンが少なすぎるんじゃないかなあと。


sakurajima, located in middle of kagoshima bay is more than just mountain for people in kagoshima: it's soul and spirit. Lots of samurai from Kagoshima contribued to Meiji restoration that turned old feudal system to modern Meiji. Their hearts were heated up like explosion of sakurajima...could be as hot as Russian revolutionaries. One of major guys is named saigo takamori who abridged to the revolutionaries and old tokugawa clan to pass over regime peacefully. Thus Japanese revolution was achieved without blood. and saigo became high ranking minister later but step ouot of the status because he was too sympathized to old samurai who were overtly frustrated with modern system that took over their privilege so saigo came back to kagoshima and stay in this house and he eventually became a commander chief of those stressed samurai to fight against government armies. Obviously old samurais were useless sons of bitches against government forces that learned euronized technology and tactics. it's like fighting with a bamboo stick against a tank. As the consequence saigo chose to committed hara-kiri (cut stomach himself) for his end. But interesting thing was guys from the same Kagoshima were in authority side such as okubo toshimichi who later got killed by one of punk samurai. Saigo was smart and knew he was not going to win this war but his emotion was too sympathetic to obsolete guys while okubo followed for rational judgment to smash old ones. Two very opposite figures though both are smart from kagoshima in meiji period but people here certinaly love the one who chose less rational judgment somehow. because of beauty of aestheticism, yeah samurai romanticism whatever, but you know we need to choose rationality to certain things. Look now, what we got here. Anything but fucking beautiful scenenary and everything else is fucking behind the world. I would choose saigo as my friend for sure but I would definitely choose okubo as my business partner. Unfortunately kagoshima lacks okubo.

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