Jan 24, 2008

エコノミスト誌CSR特集(結び記事)2008年1月17日版

Do It Right

CSR
は覚醒した個人による自分満足である

CSR産業は、この特集で見てきた(この記事が10本くらいある記事の最後。それ以外はこれら

CSR in the mainstream

The virtues of CSR

CSR's effectiveness

Risk, and managing it

CSR's changing climate

The ethics of consumers

CSR goes global

Getting CSR right

Audio interview

Sources and acknowledgments

Offer to readers

)ように、碌な状態とはいえない。企業は次々にCSRを方針に組もうと動いている。大きく国際的な企業がCSRと無縁であることはできない。気候変動はさらにそれを増幅させた。投資家もかつてないほどの関心を寄せている。新たに今までなかったNGOや、競合他社や、他の企業との協力関係が生まれ出ている。そのメッセージは、サプライチェーンだけでなく世界中に広まっている。

これらを可能にしたのはグローバリゼーションによる。グローバリゼーションは多くの企業の富を創出したが、社会貢献についても提起し責任を持たせた。一方で保護主義が急な浮上してきた。保護主義は危険で問題外であることは言うまでもなく、いろんな形で保護を啓蒙する活動家には何を求めているのか注意すべきだ。経済不況はCSRへの取組も萎縮させた。不況下でCSRは、なくてもいいものにうつつを抜かす貴族趣味に映ってしまうからだ。

しかし、企業の良心的な活動は引き続き花開くだろうが、どのような道筋を描いていくだろうか? 次の波は、誰かが言うように、革新的なイノベーションが起こり、新たな「社会起業家」を生み、確立した大企業に代わりCSRを加速させるだろう。salesforce.comのベニオフ氏は、社会起業家は、次世代CSRの「コードをクラッカー」考えている。CSRが利益や自己の好きなことになることだ。ベニオフ氏自身も、自分の会社の株式や、事業利益、従業員の時間の1%を地域貢献に使うというフィランソロフィを実施している。

最近の巨額の富の創出は、巨大な金持ちを数多く生んだ。ほぼ金融やソフト業界で、新しい形の賢くて資本主義的なフィランソロフィにも興味を持っている。資金を革新的な潜在性をもつ技術(例えば環境方面)に投資し最大限のインパクトを与えようというもので、さらに需要があれば社会起業家としてスケールアップするだろう。

この種の企業はCSRに集中特化することで、古くからの大企業のCSRを副次的に扱うやり方に対してアドバンテージを持つ。自分の金を使い、計測できる結果も望む人たちだ。「やりがいがある」だけでなく「本当によい」ものを求めている。リスクに貪欲に、しかも金銭的なシビアで、社会的投資へのリターン指標を大企業に教えることになるだろう。

つまり、CSRは単にトリビアではない。6月にマイクロソフトのフルタイム職を去り華麗なまでに資金潤沢なチャリティ財団に移るビル・ゲイツに負うところがある。彼は2009年までに年間30億ドルを寄付するという。ここまでの寄付は誰も行ったものはいない。この資金を例えばアブソリュートリターンフォーロンドンキッズは、イノベーティブなチャリティを通じ、提供者の資金を途上国で起業する人たちへ投資してる。

この起業モデルによる社会や環境問題への取組は、CSR業界に旋風を起こすに違いない。転換型の技術や新たなビジネスモデルを生み出すのには長い時間を要するが、今こそ大企業も違いを見せるときである。彼らはこれから、新たな仕事の仕方を見つけるだろう。それを吸収し社会的な冒険を成功に導くことができるに違いない。これから数年で、CSRは主に「いかに大企業が、複雑な環境下で持続可能な成長戦略を取り込むことができるのか」と、ハーバード大学のジェーン・ネルソンが示す方向に向かうに違いない。

少数のリーダーと、多くの遅れた人たち

この報告書では、ある企業がリスクを管理し機会を搾取するなど興味深いことを行なっている。しかしこのような例はごく稀である。同じような名前が何度も浮上するだけで、ほとんどの業界で、企業責任ビジネスはわずかなリーダーがいるだけで、多くは実行を後追いしている。

CSRのリーダーたちは、グローバルサプライチェーンを実施しようと、基準を敷設しようだとか、どうやって正確な環境情報を製品にレベル付けできるのだろうかなど、癖のある問題を扱っている人が多い。彼は、方針の総責任者として意欲があり、企業責任やサステナビリティ関連の代表として、ボスにその旨を報告し、多機能役員委員会で戦略が企業全体と合致しているか確認する役割を担っている。非財務的対策の進捗が、企業全体のパフォーマンスの鍵となることが、CSRをビジネスに統合しようというのはそこを攻める企業である。

後追いの人たちはCSR業界にも沢山いる。今や、活動を数多く羅列した分厚い報告書を出版しているだろう。これは記載項目が多すぎで、ビジネスに真恩恵を与えるものに絞ったほうがよい。これらの企業は、炭素排出減のスキームの効果がどれだけあるのか、倫理的な購買計画が仕事のコストにどう影響するのかをあまり考えていない。CSRの担当者が企業広報の部署に所属しており彼らの本当の動機はPRにあるからだ。

それでは出遅れ者はというと? 2タイプ存在する。最初のグループの企業は、CSRのことに注意を払っていない。これは「導入が遅れた」として攻撃されるリスクを負っている。二つ目はもっと皮肉が利いており、CSRを無視しても今のところ問題ないと考えている企業だ。多分、彼らは、あまり主要な産業にいないか、規制が最低限の国に立地しているに違いない。企業市民として時間と金を使う競合他社から、ただ乗りと思われてもまったく気にしない。とはいっても、新たな規制の対象になったり、CSRによる機会を見過ごすリスクを抱えることになるだろう。

物事に逆らわずに進める

CSRの一つの見方として、社会の急激な変革を予測し次のビジネスに必要な行動である(あるいは、少し先のビジネスに必要なもの)。 これは企業レピュテーションやリスクを管理し、競争優位を高めることになる。優れた経営者ならいずれにしても取り組まなくてはならない。情報は断然早く広まり、企業はさまざまな反響に晒されるため、今までよりさらに明確な絞込みとより大きな努力が必要になっている。

CSRをつぶさに見ると、覚醒した自己利益つまり、株主に長く持続的な利益を還元するというようなものにならざるをえない。本当に、責任あるビジネスは、決して営利的規範をないがしろにしてはいない。今後もビジネスを行ない続けること、製品やサービスを提供し続けることが、事業体にとって最も必要なことだ。CSRを無視するのが危険というのは、ビジネスの条件を無視していることになるからだ。

 

企業理念と営利的妥当性の相互運動が、将来のビジネスを形成する。価値観も営利性も弱い企業は、単にダメな企業である。強い価値観をもつが利益が上がらない企業は、価値観を利益に還元することへの注意が不足しておりよい企業とは呼べない。一方で、利益はとても上げているが、企業責任にあまり注意を払わない企業は今のところはよいが、今後リスクを増大させることが考えられる。最後に、CSRへの強いコミットメントと強力な営利性をもった企業は、成功する機会に多く恵まれるだろう。

つまりCSRはよいビジネスを行なうということそのものなのだが、CSRを何かと明確に区分けする必要があるのだろうか? 今のところ、奇妙だが、まだその必要がありそうだ。企業が直面するリスクや機会について考え、もしCSRへの取組むことがさらに成長に寄与できると思うなら、行なう価値があるだろう。金融アナリストは、企業のCSR方針を見ることが経営一般の品質を測る上での重要視点となると考えている。

CSRの名の下で行なわれているのは、何も特別なことではない。しばしば、広報部門による外部へのメッセージ発信と対して変わらないと考えられていたが、企業のCSRが成長するにつれ深化し、ビジネスと統合され、戦略の源泉となり全ての意思決定に影響を及ぼすようになっている。今後、才能のある人々がこの領域で働きたいと思うようになるだろう。

この傾向がより強まると、皮肉的に、CSRを話題にする日々が増えていく。21世紀のビジネスはそれが単に当然のものとして行なわれるに違いない。「私の仕事は、仕事から私自身を設計することだ」とある会社の企業責任管理者は言った。

今のところ、持続可能部署代表者とその関係者は、高い需要があるし、社会責任を北京語やヒンズーによって喋り世界に発信する機会も増大するのも疑念の余地はない。彼らがまたも、似たような議論を行なうようになるまでまだしばらく時間があるかもしれない。


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