Jan 20, 2008

エコノミスト誌CSR特集 2008年1月17日

よいビジネスとは

The Economist 2008/1/17


CSRといえば、かつて企業の副次的活動として考えられていたが、今や企業の本流の活動として見られている。とはいっても、ほとんどの企業はまだまともに実践できていないと、ダニエル・フランクリンは言っている。インタビュー

Illustration by Ian Whadcock

イギリスの最大の小売業者、マークス&スペンサーのロンドン本社のロビーでは、巨大な電子字幕が文字をとめどなく流している。5年間で100項目を目標とする「PLAN A」に対する進捗状況である。M&S社は、ウガンダの15000人の子供たちの教育支援をし、年に55000トンのCO2を減らし、4800万着ものハンガーをリサイクルし、2000万もの生地をフェアトレード綿へ切り替えた。すべての店舗がPLAN Aの達成トップを目指して頑張っている。

M&Sの字幕は、CSRの今の状況がどうなっているのか述べている。まず第1、CSRというラベルは誰も好きではないということだ。1年前、M&SCSRプランではなくPLAN A(「というのはPLAN Bは存在してなかったからだ」)を発足させた。この委員会の監視責任者は、計画を「ビジネス方針策定委員会」と名づけた。他の企業では、おおよそ「企業責任」(「社会」という言葉を除外しているのは意義が限定されるため)や「持続可能なビジネスの構築」などという言葉を使いたがる。ある北欧の企業代表は、ディレクターの肩書きを、責任性あるいはトリプルボトムラインリーダーシップなどと銘打っている。これらの膨れたコードをどうにか簡素化して、よい企業であろう(見えるようになろう)と意味になる。 

第2、その字幕には、よいことリストとして現在進行しつつあるたくさんの項目を示してる。地域コミュニティでのボランティアから、従業員の面倒をしっかりみるというのから、世界中の貧困者を支援するというものまで広きにわたっている。曖昧さと対象の広さから、企業は何に絞って取り組めばよいのか、わかりにくいとしている。

第3、M&Sの字幕は、CSRの流行を示している。電子スクリーンや、ポスターあるいは分厚いリポートなどを通じ大きな企業はよい自らの市民性について語りたがっている。ウエブや広告会社を通じてメッセージを発している。企業のエグゼクティブたちは、カンファレンスなどで地域への情熱や、彼らの会社が炭素低排出への新たなコミットをについて語りたがっている。エコノミスト誌の姉妹企業である、エコノミストインテリジェンスによるあるレポートの調査(survey carried out for this report)では、企業責任は、多国籍企業の役員たちの優先度が急激に上昇していると示されている。

だからといって、CSRが、急激に偉大な考え方になるわけではない。この報告では、CSRはまだ誤解されているし、ひどいなどといわれているが、現実的にCSRを避けることのできる企業は限られている。

企業世界を超えてCSRはシンクタンクやコンサル事業に豊かな土壌を提供している。政府も、かつてないほど高い関心を示している。例えばイギリスでは2006年の企業法を導入し、公共企業に社会や環境問題に関する報告する要求をしている。国連はニューヨークを拠点としたグローバルコンパクトを通じて、企業責任を世界中にプロモートしている。

ビジネススクールも一役を担っており、コースや特別な学科を設置しMBA学生を喜ばせている。「CSR活動への需要はここ3年ほど上昇している」と、ニューヨーク大学のスターン・ビジネススクールのトーマス・クーリは述べる。書店の書棚には「よい企業たれ」や「よい企業の彼方に」や「社会責任のイロハ」などのタイトルの本が溢れている。

なぜブーム化しているのだろうか? 沢山の理由がある。企業が好ましいレピュテーションや、その延長でビジネス環境を守るのにより努力が必要になってきているからだ。エンロンやワールドコムの不祥事など、巨大ビジネスの信用の失墜は、政府の大鉈による規制強化につながる。かつてないほど規模を増している非政府組織の戦士たちが多国籍企業のちょっとした悪行動に目を光らせ戦おうと準備していることもある。さまざまなランク付けや格付けなどが、企業の非財務的活動についても財務活動と同様に開示しプレッシャーを与えている。かつてないほどに、企業は一般の衆目に晒されているということだ。醜聞が世界中のあちこちに広まっている。例えば、ある企業のブランドの名のついたシャツの縫製に児童がかかわっているとなると、即座にカメラに収められ、世界中に配信されてしまう。インターネットのお陰だ。

今や気候変動への懸念がとても高まっていて、CSR業界の中でもっとも成長著しい牽引役となっているようだ。偉大なる緑に対する意識の目覚めが、次から次に企業は環境への影響を真剣に受け止めるようになっている。これは驚くべきことでもなく、マッキンゼーコンサルタントの調査によると95%の企業エグゼクティブが、世間は企業への公共的な責任を5年前より強く望むようになっていると答えている。

投資家たちも強い関心を寄せており、例えば、アメリカにおけるプロの経営者は9ドルに1ドルは「社会責任投資」に何らかの関係を持たせていると、コロンビア大学のビジネススクールのゲオフリー・ヒールは語る。ゴールドマンサックスやUBSを含めた巨大銀行などは、環境、社会、政府問題を、株価研究の中に取り込み始めた。金融業界が、混在したシグナルを送っているのは本当である。財務成績こそへの要求がすべてに勝っている。とくに特定業界であるプライベートエクイティなどは、CSRにはきわめて懐疑的だ。しかし、プライベートエクイティ自体も、自発的な透明性コードに同意し、世間へ返答するようになってきている。

 

これらの外部的なプレッシャーと同様に、企業内部の従業員からもCSRへの強い要求に直面しており、すぐれた才能の獲得競争にも重要な位置を占めるようになってきている。どの巨大企業にCSRへの努力とビジネスの士気の関係について尋ねてみても、CSRはモチベーションを高め、スタッフを引き付け、また引き止めることになると答えるに違いない。「従業員は、自分の理念が共有できる企業で働きたいと思っている」と、会計企業のKPMGの欧州CSR部門長のマイク・ケリーは言う。

やることが多すぎる?

CSRについて関心がこれだけあるから、大きな企業は優れた取組を行なっているに違いないと思うが、そうでもなく、ほとんどの企業はいまだ奮闘中である。

CSRは今や、三つの広い層を持ち、お互いそれぞれの上に成り立っている。もっとも基本的なのは企業フィランソロフィーである。税引き前利益から1%の地域還元のようなことは正しい行いように見られている。しかし、多くの企業は、この程度の手に届く範囲のフィランソロフィー―つまり、単にチャリティに小切手を切るようなことは、もはや十分ではないと感じている。株主は、彼らのお金が、活用されているか関心を寄せているし、従業員は、積極的によい仕事に従事したいと思っている。

企業の行動が批判されているときには、お金だけでは答えにならない。したがって、CSRの二つ目の層は、リスクマネジメントの領域になってくる。バボパール化学工場の爆発やエクソン・バルデズの石油流出事故などの環境災害を起こした1980年代に始まり、さまざまな業界が次から次にレピュテーションの失墜に苛まされた。 巨大製薬企業もHIVエイズに効く抗生物質薬を途上国に安く提供することを拒否し、同様のダメージに見舞われた。食品企業も、肥満の増加によってバックラッシュに直面した。「悪に加担するな」のような企業モットーだけでは、大した対抗策にならなかった。グーグルのようなアメリカでも少ないプラチナテクノロジー企業も、中国での行動について、上院議会において丸煮えにされてしまった。

だから、企業は遅ればせながら、リスク管理に取り組もうとしている。NGOや政府と対話をもち、行動基準を策定し、透明性の高い活動報告を行なうよう取り組んでいる。さらに、同じ業界の競合とも協力し、共通のルールを設置し、リスクを分散し、意見を共有しようとしている。

これらは、大まかに防御的であるが、企業は、ゲームを前に進める機会もあるということを強調したがる。機会の強調が、CSRのもっともトレンディな第3の層になっている。価値を生み出すという考え方である。2006年の12月に、ハーバードビジネスレビューは、マイケル・ポーターとマーク・クラマーの、いかにCSRを戦略的に行い、企業の競争優位を獲得するのかという旨の論文を発表した。

これこそ企業エグゼクティブが耳をそば立てたい議論であった。「よくやることでうまくやる」というのは魅力的な呪文である。ビジネスがCSRをコア事業と「符号させ」、「企業遺伝子の一部」にすることに躍起になっている。このように企業の意思決定に影響を与えている。

いくつかの興味深い例外に、レトリックが現実に通じない状況が見られる。「CSRはまだ根を深く下ろしていない」とボストンカレッジセンターの企業市民部署のブラッドリー・グーギンは言う。彼の運営するセンターの最新のアメリカが果たす役割調査によると「実践の時」だと呼んでいる。

客観的に見ると、企業努力は戦略的な方向に向き始めている根拠がある。ニューヨーク拠点との商業組合、企業フィランソロフィー促進委員会によると、企業貢献の「戦略」への動機は、2004年の38%から、2006年には48%まで跳ね上がったと報告した。しかし、ほとんど企業戦略とかみ合ってない場合がある。トヨタは、グリーンイメージやモータリゼーションの責任をプリウスなどのハイブリッドモデルによって勝ち取っているが、アメリカで標準化しつつある排出規制の厳格化に対して他社と共に反対している。調査は、企業の望む姿と実際の行動のギャップを指摘している(チャート2)。そして、富裕国の企業の望む姿と社会が企業に望むあるべき姿には相当なギャップがあるといえる。

ポーター氏によると、CSRへの関心の高まりにもかかわらず、ほとんどの場合「焦点がぼけすぎているか、急ぎすぎ、あるいはあまりにも手広く支援しすぎで、実際のビジネスと無関係だ」と指摘している。ポーター氏のようにハーバードビジネススクールのダッチ・レオナルドは、価値創出型のCSRについて「信念の行動は、ほとんど幻影にすぎず、実践されている例がほとんど存在しない」と述べている。

これはまだ当然かもしれない。ビジネスがよいことを行なうというのは、エグゼクティブたちにとってまだ難しい質問かも知れないからだ。CSRのパフォーマンスを測ることができるだろうか? NGOや競合たちと協力できるだろうか。果たしてグリーン戦略に、本当に競争優位性が存在するのだろうか。中国やインドあるいは他の新興国から浮上してくる企業は、どのようにこのゲームを変えていくのだろうか?

この特集では、企業はいかにCSRを実践しているのか詳細に見ていくことになる。結論から言うと、取り組みはまずいということになる。単に悪事を隠すものであるかもしくは、物事を積極的に悪くするものである。しかし、優れた取組とは、企業の副次的な活動ではなく、企業活動が美徳を備えているかということだ。それこそよいビジネスである。

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